……それが目に入った瞬間、蜃気楼かと思いました。
どこまでも続く赤い砂漠の真中に、静かに佇む武家屋敷。
砂上バイクを乗りつけて、塀に触れれば、確かに固い感触があります。
「幻じゃない。……本当にあるんだ」
わたくし、カタリーナ=ウィル=アルカイックは、軽い衝撃を受けました。
わたくしの知識が正しいならば、これは人類が宇宙に出る以前の建物のはず。
「……新しく作ったものではない。地球から移築したのかしら」
屋敷の正面には、圧迫感を覚えるほどに、高くがっしりとした木の門があります。
時を経て黒く変色した木材は、砂漠の星の乾いた大気を、ものともしていないようでした。
わたくしの家系もなかなか長い歴史がありますが、この建物は間違いなく、それに匹敵する年齢でしょう。
……そんな、存在自体が博物館モノの建物の入り口に。
妙に安っぽい、プラスチックのプレートが一枚、貼り付けられていました。
建物の雰囲気に合わない事、おびただしいものです。
せめて、鉄板でも使えばよいものを……。
わたくしはそう考えながら、そこにプリントされた文字を読み上げました。
「『一文字流弓剣術道場』……か」
読み終えたとき、耳の端に何かが軋む音が聞こえました。
……それが戸の開いた音だと気が付いたのは、しばらくしてからのこと。
そのときのわたくしは、看板の不自然さに気を取られていたのです。
次の瞬間。わたくしは全身の毛穴から、冷たい汗が噴出すのを感じました。
わたくしは一息にバイクの所まで飛び退り、その影に隠れました。
……いえ、命からがら逃げこんだ、といったほうが良いかもしれません。
……殺気を感じた、などという生易しい感覚ではありませんでした。
殺意を飛ばされた。あるいはもっと過激に……殺された、と言っていいでしょう。
相手にその気があったら、わたくしは死んでいた。そんな感覚でした。 |
「……誰!?」
相手の姿を確かめようと、わたくしはかすかに身を乗り出しました。
あれほどの殺気……。家柄上、軍の英雄達と多く接してきたわたくしの人生経験の中でも、五指に入るものです。
わたくしは自然と、そこに歴戦の勇士が立っていると想像していました。
ですが、実際にそこで赤い砂を踏みしめていたのは。赤い袴の巫女さんだったのです。
「……え?」
一瞬、混乱します。それは人類がまだ、母なる地球に捕らわれていたころの、マイナーな法衣だったはず。
すくなくともこの周囲に……いえ、この赤い星に、関連する宗教施設はなかったように思えます。
「……」
その巫女は、無言でした。
白い袂と黒く長い髪を乾いた風になびかせて……。
ああ、ですが、その姿をよく見れば、わたくしの知識にある巫女とは、随分違います。
その背には大きな弓を斜めに背負い、それに重ねてぎっしり詰まった矢筒がひとつ。
そして右手に軽く握られていたのは、大きく『富士山』と刻印された木の刀。
彼女の姿を一言で語るなら、それは『ちぐはぐ』でした。
「……う、うーん、これは……」
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精神的に大きなショックを受け、うめいたわたくしに、巫女は言いました。
「何用だ。軍人。お前も先だって来た女の仲間か」
その言葉で、わたくしはようやく、自分の仕事を思い出します。
先日、ミリエッタさんがスカウトに失敗したある女性を、今度こそ広報部隊に。
……巫女の顔は、渡されていた資料のそれに、一致していました。
「……それでは、貴方がヒビキ=イチモンジさんですか」
「勧誘なら断る。帰れ」
それだけ言って、彼女はくるりときびすを返します。
「まっ、待ってください!」
出発のとき、副隊長から言い含められていたこと。わたくしはそれを口にしました。
「わたくしはカタリーナ。カタリーナ=ウィル=アルカイック! この名に覚えはありませんか!?」
「……ほう、あなたはアルカイックの家のものか?」
彼女はまた、くるりときびすを返し、わたくしの顔をまじまじと見ました。
その表情には、何の感情も見えず、彼女の考えは読めませんでしたが……。
「他のものなら門前払いだが、アルカイックの娘御が使者ならば別だ。中に入られい。話を伺おう」
彼女の声はうって変わって、柔らかいものになっていました。 |
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屋敷の中の多くは、門下生のための居住室で占められていました。
歴史的な雰囲気を求めて、宇宙のあちらこちらから、入門希望者がやってくるのだとか。
「我が流派は余人に教えるものではないが……昨今はこの星でも物価が上がり、弟子を取らねば立ち行かぬのだ」
「……わかります。ものを守っていくのは、たいへんですものね」
わたくしは心から同意しました。
わたくしの家は幸い、ほぼ世襲の地位があるのでやっていけますが……。
同等の歴史をもつ家系が少ない……という時点で、いかに歴史を守っていくのが大変か、わかるようなものです。
……とはいえ、イチモンジという名家が残っているとは、記憶にありません。
なにより、ここの風景には、どうもちぐはぐなものが目に付きました。
庭にはちゃんと鹿威しがあるのですが、水が流れていません。
石灯籠らしきものもありましたが、素材がコンクリートのように見えました。
「イチモンジさん。その……貴方の服装は?」
「これか。これは流派秘伝の古文書の一つにあった、女剣士の正装だ。先代が復元したものでな。こちらの名刀『ミヤゲモノ』とは対になる」
「……はぁ……。その古文書って、もしかして二十一世紀初頭くらいに発行されたものですか?」
「さよう。文字のみならず、絵と擬音入りで、当時のサムライの有り様を良く伝えてくれる」 |
「……そうですか……」
ぽつりぽつりと語られる、彼女の言葉を聞くたびに、わたくしの心に暗雲が垂れ込めていきました。
……どうやら、彼女の装いは……あるいはこの道場自身が……大きな勘違いの上に成り立っているようでした。
まさに、これこそが、砂上の楼閣。こんな、フィクションの真似事に、一体何の意味があるのでしょう。
「どうなされたアルカイックの娘御。お体の調子でも悪いのか?」
「……いえ、大丈夫です。砂漠の熱で、すこしのぼせたのかもしれません」
「それはよろしくござらん。こちらの部屋に参られよ」
彼女自身の心根は良く、顔も整った美人。たしかに広報として、人気は出るかもしれません。
ですが、その装いといい、ときおり混じるおかしな言葉使い。
色物扱いになるのが、目に見えるようでした。
多少武術のようなものが扱えたところで、どうせ本物ではありません。
芸術性を望むべくもないでしょう。まして実力は。
……こうなると、先ほどの殺気は、なにかの錯覚だったと思えるようになりました。
おそらくは、砂漠の熱気に当てられて、感覚が狂っていたのでしょう。
わたくしは、スカウトの意欲を半ば以上無くしながら、彼女の後について行きました。 |
板張りの道場は、砂漠の星とは思えぬほど、ひやりとした空気に満ちていました。
「客間がないので、ここで我慢していただこう」
彼女が隣室から麦茶を持ってきてくれます。
たしかに喉は渇いていたのですが、立ったまま飲むわけにもいきません。とはいえ、周囲に椅子もなく……。
「遠慮なく座られよ。お足は好きに崩してくださって、かまわん」
わたくしが戸惑っていると、ヒビキさんはひょいと床の上で足を組みました。
……座禅、という座り方のようでした。正座ならわたくしも習得していますが、さすがに座禅は……レベルが高すぎます。
……というか、そもそも武術には向かない座り方だと、思わず口に出かけました。
が、それを言葉にしてしまっては、大人気ないですし……。
そもそも、その一点を指摘したところで、このちぐはぐさはどうにもならないでしょう。
「では、失礼して、正座で……」
麦茶は予想に反して薫り高く、ほのかな甘味がありました。
良い水と、麦をつかっているのでしょう。てっきりまがい物が出るかと思っていたので、その分、味わいもひとしおでした。
「さて、話を伺おうか」
彼女の言葉に促され、わたくしは用件を話し始めました。
広報部隊のメンバーとして、白羽の矢が立っていること。
一種の芸能活動であること。戦闘力も要求されること。十分な給与が出ること。
「ふむ……。それでアルカイックの一族である貴殿としての考えはいかがか。
私を広報部隊に引き入れたいのか、否か?」
「……それは……」
ヒビキさんの問いに、わたくしは一瞬、躊躇いました。
彼女はここで、不自由なく生活しているように思えます。
それをわざわざ、広報部隊に引きずり込み、色物扱いさせて良いものか。
またそれによって、広報部隊自体が、広報の本質を逸れた色物・まがい物になってしまうのではないか。
……そんな不安はありました。現状でさえ、その傾向があるのですから。
……わたくし自身も、かなり広報向きではない人材ですし。
もちろん、上からの命令は、ヒビキさんを是非スカウトしてこいというものです。
上には上の考えがある、ということなのでしょう。
「……わたくしとしても、貴方と一緒に広報の仕事をしたいと考えます」
この言葉は結局、わたくしの考えというよりも、命令に従っただけのものと言えました。
「……そうか」
ヒビキさんは軽く目をつぶると、行っても良いが条件がある、といいました。
「……アルカイックの娘御が、私に勝てたら、だ」 |
「かつて我が祖が、アルカイックの先祖に敗れた。ゆえに私には、現代のアルカイックと戦う因縁がある」
「……そんな無体な……」
わたくしは若干呆れながらも、彼女の言った条件を受けました。
なるほど、わたくしが使者に選ばれたのも、マキさんがわたくしに言い含めたのも、この事情があったからなのでしょう。
わたくしにとっては初耳でしたが、勝負を挑まれたなら、断る理由はありません。
子供の頃から、戦いの英才教育を施されてきたわたくしです。
歴戦の戦士相手ならともかく、同年代の女性に、遅れをとるつもりはありません。
まして、彼女のようなちぐはぐ武術になど。
「……こちらはこのとおり、弓と木刀をつかう。そなたは銃でもなんでも使うと良い。刀と弓が入用なら、こちらで用意を……」
彼女の言葉に、わたくしは思わず苦笑してしまいました。
銃を相手に、刀で勝つつもりなのでしょうか。いえ、そのつもりで居るのかもしれませんが……。
そこでわたくしが銃を撃っては、我が家にとって不名誉でしょう。
「無用です。わたくしは、この体一つで十分ですから」
すっくと立って身構えたわたくしを見て、ヒビキさんは軽く微笑みました。
「……マーシャルアーツか。それも海兵隊の流れを汲む、正統だな」
わたくしは再び、冷たい汗が流れ出すのを感じました。
……この宇宙時代、もはやマーシャルアーツは古流のひとつ。
多くの亜流が生み出され、そのルーツを知るのも困難となっているはずです。
ですが、ヒビキさんは知っていました。それも構えを見ただけで、どの系統かを見破るほどに、熟知していました。
「構えを取ったならば、遠慮は要らんな。……では、参る!」
「……!」
息を飲んだときにはもう、木刀の切っ先が鼻の先にありました。
体が反射的な回避をしていなければ、わたくしは死んでいたでしょう。
……純粋な殺意。手加減などする気もなさそうな、必殺の一撃。
「リャア!」
身を逸らしたわたくしを追って、突き出された木刀が、そのまま切り下げられます。
研がれているはずのない刃渡りに、わたくしは確かに、『斬られる!』と感じたのです。
「くぅ!」
肘撃ちが刀の腹に当たったのが幸いでした。
続く三撃目を、どうやってかわしたのか、わたくし自身、覚えていません。
とにかく気が付けば、なんとかヒビキさんとの間に、距離を取ることができていました。
「……さすがアルカイックの娘御。三撃目までを防がれたのは、久しぶりだ」
木の切っ先を、ぴたりとこちらに向けたまま、彼女は押し殺した声を発しました。
わたくしのほうはと言えば、もう口を開くどころではありません。構えを崩さないのがやっとでした。
気を一瞬でも抜けば、足が震えだしていたでしょう。
やはり……やはり最初に感じた殺気は、彼女のものだったのです。
わたくしは自らの判断ミスを悔やみました。
たしかに彼女の流派は、形としてはちぐはぐなそれです。ですがその強さは、幻でも偽物でもなかったのです。
……おそらく彼女は、生まれてからずっと、この流派に人生を捧げてきたのでしょう。
その修練は、その修練こそが、本物の強さを生み出したのです。
ヒビキ=イチモンジは、まごうことなき強者でした。
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「……ハァ……ハァ……」
ピンと張り詰めた空気。どちらに動いてもやられる……そんな感覚。
向かい合っているだけで、体力が消耗していくようでした。
感謝すべきは、ヒビキさんのほうもまた、次第に汗を滲ませていくことです。
彼女もまた、わたくしに強さを感じ、一瞬も警戒を怠れずに居るのでしょう。
まして、彼女の人生がかかった大勝負なのですから。
そう思うと、わたくしの心に、闘争心が沸いていきます。剣の間合いをくぐってしまえばこちらのもの。
足なり腕なり首なりと、こちらのやりたい放題に撃って極める自信があります。
「……むぅぅ……」
以後しばらくは、じりじりと、互いの間合いを探り合うことに費やされました。
わたくしが下手に踏み入れば木刀の餌食。かといって今以上に間合いを取れば……おそらくは彼女の背負った弓矢がものをいうでしょう。それを構える隙など、相手はとっくに克服しているに違いありません。
……足元が、ぬるりと汗で滑りだしました。
まだ、実時間では三分とたっては居なかったでしょう。ですが、わたくしにとっては三時間以上にも感じる勝負でした。
このままでは、体格で劣るわたくしのほうが、先に力尽きてしまいます。
……攻め込む最後の機会だと思いました。そして同時に。ヒビキさんも、わたくしの考えを察知していると思いました。
ここで踏み込むのは、みすみす罠に飛び込むようなものでした。
ならばこそ、わたくしは声を上げて踏み込んだのです。
「ハッ!」
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間合いを詰めて、一歩、二歩。そこでヒビキさんが、木刀を片手に持ち替えるのが見えます。
直後に、間合いを伸ばした木刀が飛んできました。もし普通に突っ込んでいたら、額を砕かれていたでしょう。
ですがわたくしは、その刀を捕らえると、決めていたのです。
「……むっ!?」
木刀の峰を叩き落す勢いで、両手を掛け、引き落とします。ヒビキさんが前につんのめります。
「……今!」
手加減を考えている余裕はありませんでした。ふらついた彼女の額目掛け、わたくしのヒザが飛びます。
スピードは十分、狙いは正確。
……勝った。わたくしはそう思いました。
そう思ったまま、激しい衝撃を受け、意識を失いました。
……最後に見た光景は、最後の瞬間まで闘志を失わぬ、ヒビキさんの切れ長の目でした。 |
木刀の柄の部分で、わたくしの鳩尾をえぐりこんだのだ……と、手当てをしながら、ヒビキさんは教えてくれました。
結局、ヒビキさんが体勢を崩した勢いと、わたくしの膝蹴りの勢いが、二つまとめて、
わたくしの鳩尾に叩き込まれたということです。 当然わたくしは、しばらく食事もできない状態になってしまいました。
そんなわたくしを、彼女は静かに世話してくれました。
「……地球に帰ります。スカウトにも失敗してしまいましたし」
「まあそう言わず、すこし静養していけ」
「押しかけた身で、これ以上ご迷惑を掛けるわけには……」
「……良いのだ。こうしていると、私も楽しい」
彼女は相変わらず、厳しい表情のままそう言います。
ですが数日同じ屋根の下で暮らすうちに、それでも彼女は喜んでいるのだ……ということが、わかるようになってきました。
「……名門アルカイックの人間が、私と戦ってくれるとは、思っていなかった」
ある夜、彼女はポツリといいました。
「まともな武術を修めるものたちは、うちとはなかなか試合をしてもくれぬのだ。……だから」 |
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……だから、何と言おうとしたのか。
彼女の言葉は、静かに臥した表情の中に、消えてしまいました。
……彼女は、気がついていたのかもしれません。
自らの半生を費やしてきた流派が、正統とは呼べないものであることに。
……正統と呼ばれる家系に生まれたわたくしにはわからない、複雑な思いもあったのかもしれません。
そして今のわたくしの気持ちも、彼女に伝わっては居ないのでしょう。
……あなたほど、素晴らしい戦士は居ないと。
貴方のような人こそが、正統と呼べるものを、自らの手で作っていけるのだろうと。
……その実力が、そのチャンスが、うらやましいと。
……わたくしの口から言っては、きっと彼女への侮辱になる。
だから、けっして表に出せない言葉でした。
「残念です。貴女のような人こそ、広報部隊に適任だったのに……」
「うむ、その話だが、な」
ヒビキさんは軽く咳き込んでから、言葉を続けました。
「……条件の通り、スカウトは断ることにする。
だが、私はカタリーナ殿の居る広報部隊というものに、興味を持ったのだ」
広報部隊に志願したい、と、彼女は言った。
「……スカウトではなく、申し込みの形になるが……。
受け入れてはもらえるのだろうか?」
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「……大丈夫ですよ、ヒビキさんなら」
わたくしは彼女の手を取り、しっかりと頷いて見せました。
……わたくしたちが、お互いを同僚として呼び捨てできるようになったのは、それからすぐのことでした。 |
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