「聖ウィルの勲章と、アルカイック家の名誉のために」
わたくしは静かに婚約指輪を抜き取りました。
「……この婚約、破棄させていただきます」
「そっ、そんな! カタリーナ嬢!」
慌てふためく婚約者殿の顔を見ても、わたくしの決意は揺らぎませんでした。
今考えても、あのときの決断は間違っていなかったと思います。
そもそも、ハイスクールの年齢だったわたくしごときに、振り回される殿方では……。
愛するに足らないひとだったでしょう。
……はい。わたくしはカタリーナと申します。
聖ウィル勲章の世襲を許された、名門アルカイック家の一女です。
今日は、わたくしがこの広報部隊に来ることになった日のことを、お話しましょう。 |
なにしろ、わたくしが生まれる前から決まっていた婚約でした。
それを勝手に破棄して帰ってきたのですから、家では大騒ぎになっていました。
「お嬢様、旦那様がお呼びです」
玄関先で出迎えるメイドたちは、おろおろとうろたえるばかり。
落ち着きのないことだとは思いますが、仕方ありません。
彼女達は彼女達なりに、わたくしを案じてくれていたのでしょう。
「と、とにかくまずは、その軍服を、おめしかえになって……」
「必要ありません。士官学校の生徒である今日、これがわたくしの正装です。 このまま父上にお目にかかります。」
さて、この家で家族と会うのは、何年ぶりだったか。
と思案をめぐらせました。
祖父はわたくしの士官学校の校長ですから、週に一度は顔を合わせます。
しかし父の顔となると……三ヶ月前の軍のパーティの時に、遠くで見たのが最後だったかもしれません。
母と上の兄は、三百光年の彼方ですし、下の兄様に至っては名誉の戦死であの世に行ってしまわれました。
「……小学校以来かもしれませんね」
なるほど。久しぶりの親子の対面ならば、多少の身だしなみは必要なもの。
わたくしはメイドたちに櫛を借り、髪を何度か梳きました。
「これでよし」
「お嬢様。もうすこしお洒落をなさってください。
世間一般的なものを」
メイドたちは、わたくしの振る舞いに、いつもがっかりしていたものです。
婚約者との逢引用に、ドレスをあつらえてくれたりもしたのですが……。
やはり、制服が一番わたくしの体にあっていると感じます。
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「世間は世間。我が家は我が家です」
「ほんとうに、お嬢様は、頑固でいらっしゃる」
……頑固。わたくしとしては、そんな意識はなかったのですが。
まあ、よく言われるということは、そうだったのかもしれません。
諦め顔のメイドたちを後にし、わたくしは踵の音を響かせて、父の待つ部屋へと向かいました。
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中世の鎧や絵画で飾り立てられた応接間。
そこで待っていたのは、父だけではありませんでした。
軍服の女性が、二人。
女性の一人……ミリエッタ先輩のことは、良く存じています。
軍人としての礼法を教える教官として、何度かお世話になりました。
……もう一人は、知らない顔でした。だらしない姿勢ですが、それはどうやら見せかけ。
その体のつくりは、格闘技をかなりの腕前で操れる人間のものでした。
入り口で戸惑うわたくしを、父が招きました。
「良く来た、カタリーナ。まずはこちらに寄れ」
朗々と響く声。岩をも貫く厳しい眼差し、山のように大きな体。
分厚い胸には簾のごとく勲章を下げ、豊かな髭はプロペラと見まごう程のもの。
我が父ながら、なんとも素敵な男性でありました。
同席の女性二人も、思わず頬を赤らめ、目をそらしています。
おかしな咳をしているのは、きっと感嘆の声をごまかしているのでしょう。
「お会いできて光栄です、父上」
「うむ。何も聞かずに椅子に掛けよ。話がある」
あら。とわたくしは違和感を覚えました。
同席の女性の紹介が、無しだとは。それは作法と異なるものでした。
婚約の破棄について問われるとばかり思っていましたが……
どうやらなされるのは、もっと尋常ではない話のようでした。
まず、父が言いました。
「婚約のことについては、私はお前の判断を信じている。
だが、こちらのミリエッタ殿が理由を聞きたがっておられてな」
「は……」
「まずは、それを説明せよ」
「はっ」
彼女に何の関係があるのか……? と思わないでもありませんでした。
が、求められたということであれば、必要なことなのでしょう。
ならばプライベートの事であれ、供出するにやぶさかではありませんでした。
どの道、理由はただの二つです。わたくしはすらすらと述べました。
彼が惰弱であったこと。
彼が女軍人を軽んじていたこと。
「以上のことから、あの方とは良き夫婦になれないと判断しました」
わたくしが言い終わると、はい質問!、と挙手がありました。ミリエッタ先輩の連れの女性でした。
ミリエッタ先輩が小さく、「マキ! お行儀が悪いわ」とたしなめていらっしゃいました。
なるほど、彼女はマキという名のようで……。言われたとおり、かなり不躾な質問を投げてきたのです。
「どんな風に軽んじられたの? それによって、評価が変わる」
そのときに、わたくしが鼻白んだことは間違いありません。
それを説明するということは、あの侮辱にもう一度わが身を晒すということです。 |
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……ですが。
わたくしは考えを変えてみました。彼女達も女性ならば、
わたくしの気持ちをわかってくれるかもしれません。
だからわたくしは、言われたままのことを述べました。
「結婚して軍人を辞めれば、嫌々危険なことをしなくて済むね……などと」
そう言葉にしてしまうと、ふっと頭が冷えました。
きっと、溜め込んでいた不満が、音になって出て行ってくれたのでしょう。
なるほど。冷静になって考えてみれば……
あの人の言ったことは、一般的な意見かもしれません。
確かに軍人は危険の多い仕事です。それを案じてくれた、優しい言葉ともいえます。
それをもって、婚約の破棄をしたのは、勝手なことかもしれません。
相手にしてみれば、なんでわたくしが憤ったのか、わからなかったでしょう。
……でも。
「……わたくしには許せない言葉だったのです」
そう、ほんとうに、許せなかったのです。
それをこの人たちは、わかってくれるでしょうか。
……はしたないことですが、わたくしは僅かに横目を使い、
マキという人の顔を確かめてしまいました。
そして、彼女もまた、憤っているのを見たのです。
「そうか。それは怒るね、あたしでも」
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……マキさんは、深く深く頷いてくれました。
もっとも、ミリエッタ先輩は、混乱していたようです。
「どういうことですのマキ? 私には、さほど変な言葉とは……」
「ミリエッタは、理解ありすぎるんだよ。あたしなら、その男ぶんなぐってるね。
だってあたしたちは、別に嫌々軍人やってるんじゃないんだから」
がたん、と彼女は立ち上がました。
そして、虚空に向けてパンチを一発。空を切る、小気味良い音がしました。
わたくしがついつい微笑むと……彼女はわたくしに向けて、ぐっと親指を立てて見せたのです。
……当時、そのサインの意味はわかりませんでした。ちょっとなれなれしいな、と思ったことも事実です。
でも、それ以上に……共感してもらえるのは、嬉しいことでした。
「マキさんの仰るとおりです。わたくしにとって、軍人であることは誇り。大いなる誇り。
それを理解できない方とは、良き家庭は持てません」
「なるほど。たしかに、基本的な考えに齟齬があると、お付き合いは難しいかもしれませんわね」
ミリエッタ先輩も、ようやく合点が行ったようでした。マキさんと二人、なにやら頷きあっていましたから。
そういえば、彼女達の目的は、一体何だったのでしょうか……
「アルカイック将軍。こちらとしては、依存ありませんわ」
「むしろ、喜んでお預かりしたいところねー。頼れるいい子だわ」
二人の女性の言葉に、父は静かに頷いて。緩やかに、わたくしのほうへ向き直ったのです。
「カタリーナ。我々には聖ウィル勲章の名誉がある。同じように、お前が婚約を破り捨てた相手にも面子というものがある。お前は彼の面子を潰したことをわかっておるな?」
「はい」
わたくしは即座に頷きました。
「それに関しての罰は、いかようにも受けましょう。たとえ、勘当であっても」
わたくしの言葉に、父は「ならば」と応じました。
「お前は卒業後、すぐに士官となることが決まっていたが、それを取りやめる。
お前は卒業後、一兵卒として、このお二方の部隊に行ってもらうぞ」
「はっ!」
わたくしの返事は、ただの一言。なんの異論も、ありませんでした。
むしろ、先輩たちのほうが、慌てたようでした。
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「……そ、そんなあっさり受け入れていいの?
あたしたちは嬉しいけど……あんた、出世街道はずれるよ?」
「それに、私たちが言うのもなんですが、かなり曰くありの部隊なのですわ。本当に、良いんですの?」
その思いやりは、嬉しいものでした。
考えてみれば、彼女達は、わたくしの人間性を見るために、わざわざここまでいらしたのでしょう。
そこまでしてくれる上官を持てるのは、むしろ僥倖だと思いました。
「軍人でいられるならば、どんな状況でも耐えられます。
どんな部隊であれ、参ります」
「でも、広報部隊だよ? いいの?」
広報部隊……。その言葉に、少しだけ驚きました。
水着で写真を取る部隊。そう記憶していたからです。
自分とは縁のない世界だと、思ってもいましたから。
ですが、名誉なことだとも思いました。
「一般に対して軍の好感度を上げるのも、軍自体の士気を高めるのも、大事な勤めです。その一員に選んでいただけたのは、光栄です」
「うーん、めげない子だわ。頼もしい」
……そう、めげる必要など、何もないと思いました。むしろ喜ぶべきことでした。
女軍人とて、きちんと仕事をしている。それを広く知らしめる機会でもあります。
ならば、わたくしが行くべき部隊は、まさにそこでした。 |
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「広報部隊、望むところです。問題は、わたくしのごとき若輩者に、務まるかどうかだけです」
「それなら大丈夫。あたしたちがいくらでも手を貸すわよん♪」
「卒業したら、すぐに来てくださいね。待っていますわ」
ミリエッタ先輩とマキさんは、わたくしの手を強く握ってくれました。
あのときからわたくしは、広報部隊の一員となったのです。 |
あれからだいぶ時が過ぎ。今ではわたくしも、新人達の面倒を見る立場になりました。
もうしばらくは、この部隊にお付き合いすることになるでしょう。
この間、ミリエッタ先輩に「辛くはない?」と聞かれました。
少しはめげてもいいのですよ、とも言われました。
……辛くないといえば、嘘になるでしょう。
肌を出す仕事は、今でも恥ずかしいです。扇情的なポーズを作るのは躊躇われます。
星から星への仕事ですから、落ち着きもありませんし……。
本来の道である、士官の立場へ、戻ってみたい誘惑もあります。
ですが、どんなきっかけであれ、一度はじめたからには。最後まで、この意義ある仕事を全うしたいと思います。
……軍人であるわたくしの名誉に掛けて。そして、なにより、アルカイックの名に掛けて。
「平気ですよ。だって……」
頑固と言われようと、少しはめげろと言われようと。
「だってわたくし、名門の生まれですから」
……それが、わたくしの生き方です。 |
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