髪の生え際が、少しでも黒ずんだら、その場でブロンドに染め直す。
 それが、『ゲーレン・ローダース』の設計主任だった頃の、私の習慣でした。


 私はクララ=ゲーレンという名前だ、ということになっています。
 本当の姓名は知りません。ごく幼い頃に保護された、戦災孤児だったので。
 私の養父は大型兵器の設計・製作で有名な、ゲーレングループの会長。
 偉大なひとです。素性のまったくわからかった私を引き取って、愛と教育を与えてくださったのですから。
 ですからこの名は、私の誇りです。たとえ今は、養父のもとを離れていても。
 ……そう、あの家を出たのは、何年前のできごとだったかな……。
 あの日の仕事は、上の空でした。


「体調が悪いのですか、クララ主任?」


 ……うちの秘書は、わりとずけずけと人のプライベートに踏み込んでくる人だったんです。
 まあ、そりゃそうですよね。私の妹でもある子でしたから。


「今朝、とーさん……じゃなくて、会長がね。私に設計部の部長になれって……」
「ああ、やっとその話が出たの! ねーさん……じゃなくて、クララ主任の腕前考えたら、遅すぎたくらいですよね」


 無邪気に喜ぶ妹を見て、私は苦笑いするしかありませんでした。
 ……妹の髪は天然のブロンド。その目鼻立ちははっきりとしていて、
 私とは明らかに人種が違いました。
 つまり彼女のほうは、両親の血を継ぐ、本当の子供。 私と違って、ね。


「で、引き受けたんでしょ?」
「……断った。成人式前の小娘がやれるような立場じゃないよ」
「えーっ、だってねーさん、小学生の頃からここに入り浸ってるんだから、職歴10年超えてるじゃない。問題ないよ!」
「まー、我ながら、叩き上げであることは認めましょう。でもねえ」


 私はその時、机上の写真立てにちらりと目をやりました。
 立派な格好をした兄妹達にくっつくように映る、だぶだぶの作業服を着た小さな私。
  ……まだ眼鏡をしていない、黒髪の私。
 別に、養父母に差別されていたわけじゃありません。
 むしろ、十分に私の意思と、才能を汲んでくれました。
 学校に行かず、社で仕事をすることさえ、認めてくれました。
 ……そう、この頃は、家族で居るのが楽しかった。


「ねーさん、私たちに遠慮することないよ?
 私たち、クララねーさんの才能、ほんとに尊敬しているもん」
「ありがと。問題は、私の心だなあ……」



 ためいきひとつ。それは贅沢な悩み。
 ほんとうの家族に会ってみたいけど、会いたくもないという我侭。
 ……実は一度、こっそり探偵を雇ったことがあったんです。
 私が拾われた緑の惑星の名と、かすかな記憶……黒い髪の両親と小さな弟……を手掛かりに。
 でも、たいした事はわかりませんでした。  残念だったけれど、同時にほっとしました。
 ……私はまだ、ゲーレン家の一員で居て良いんだって。
 ……でも、それを調べたこと自体が後ろめたくて……
 その日以来私は、髪を両親達と同じ色に染めるようになったんです。
 少しでも家族に近づかなければ、いつか捨てられてしまう気がして。
 ……幼い日のように、たった一人になってしまう気がして。
 私は心のざわめきを抑えて、静かに口を開きました。


「ま、部長の件は、成人した頃にでも、あらためて考えるわ」
「それがいいよ。……でも悩んでた割には、今日の仕事はいい出来ね」



 そう言われて、がくっとなりました。
 ……改めて見た図面は斬新で、我ながら好感触。軍に見せたら一発採用がもらえそうな出来。


「……悩みがあったほうが、いい仕事ができるなんてねえ」


 と妹にぼやいたら、


「せっかくだし、ずっと悩んでたら?」


 と返されましたよ。とほほ。
 それから数日して。
 妹が変な名刺を持ってきました。


「ねーさん、軍のヒトが、会いたいって」
「……軍? こないだの図面のことかな?」
「ううん、そうじゃないみたい。会長からの紹介で、なんだか、スカウト……とか」



 ……スカウト?
 ヘッドハンティングなら何度か持ちかけられたことがあったけど、スカウトというのは初めてでした。
 名刺に記されていた名はマキ=アルディード。これも初耳。
 地球軍広報班所属となっていましたが、およそ、我が社とは付き合いのない部門でしたし。


「……んー。わかった、とにかく、会ってみるから、通して」



 ……それが後の副隊長で、これが運命の変わり目だとは、思いもしませんでしたよ。このときは。いやほんとに。
「やー、あなたがクララちゃんね!」


 部屋に入るなり駆け寄られ、私は思わず仰け反りました。
 ……軍の人? 嘘! この人どこの芸人!?
 もしかして、なにかのびっくり企画だろうかと思ったくらいです。


「いや、たしかにクララは私ですけど……」
「んー! これならオッケー! 眼鏡対応でキャラ的にも万全!」
「むぐっ!」


 ぎゅっと抱きしめられて、息が苦しいと思ったら、
彼女の胸に顔をうずめさせられていました。
 ……ええ、思い出すほどに、実に失敬な胸でした!
 あんなに大きいのは、規格外! 私ぐらいが世界標準であるべき!
 ……すいません、話が逸れましたね。とにかく。
 私はじたばた暴れましたが、彼女の力は恐ろしく強く……。
 やがて私は、酸欠でくらくらへたり込んでしまいました。


「うん、いい感じにぐったりしたわね。それじゃ、こことここに、ハンコ頂戴、ハンコ。……はーいありがとう! 契約成立!」


 彼女の言うがままにされていた私ですが、最後の一言で目が覚めました。


「……はっ!? なんの話ですか!?」
「今日から貴方も広報部隊!」
「えーーーーっ!? ていうか、何ですそれ!?」
「くっくっく、泣いても喚いても、こっちには契約書があるんやでー
……なーんてね」



 慌てふためく私の肩をぽんと叩き、彼女は輝くような笑顔を見せてくれました。


「実はね、腕のいいメカニックを探してたのよ。それも、広報部隊としてやれそうな、可愛い子を」
「は、はあ……。それで私ですか? 私はあんまり可愛くないですが」
「じゅーぶんじゅーぶん! ……悩まずに、笑っている限りはね」



 彼女のウインクに、私はハッと思い当たりました。
 このヒトは会長の……養父の紹介で来たのだと。
 ……そのヒトが、私の悩みを、知っている……!?


「そ、それって……」


 心も、体も、恐怖で竦みました。
 もしかして私は、養父を怒らせてしまったのかもしれないと。
 このまま、ゲーレンの家から、追い出されてしまうのだろうか……と。
 副隊長が優しくさすってくれても、私の頬は血の気が引いたままでした。


「私たち広報部隊はね、あっちこっちの戦場を回る予定なの。そこでいろんな人と会うことになる」
「……いろんな人。……もしかして……私の両親とも……」



 私の声は震えていました。それもまた、恐れていたことでした。
 もし両親を見つけたなら……。会うべきなのか、否か。一体どうすればいいのか。
 ああ、このヒトは。そして養父は、私になにを望んでいるのか。
 困惑し、脅える私の前で、副隊長は。


「やー、多分会えないでしょ、宇宙って広いから。ムリムリ」


 と、私の悩みを、あっさりひっくり返したんです!
 ……本当にあの人は、昔からデリカシーがなかったんですよっ!


「そ、そんなぁ〜〜」


 私は再びへろへろと脱力し、倒れかけました。
 ……そう、私は今でも覚えています。
 そんな私の手を、副隊長がぐっとつかんで……引揚げてくれたことを。


「でもさ。いろんな星に、行くだけ、行ってみればいいじゃん。見つかったらラッキー!
 見つかんなかったら、それはそれ! ってことでさ」
「え……?」



 それは、私が考えたこともない論法でした。


「昔から言うじゃない。ダメでもともと出来たら儲け! ……試してみたら、すっきりするかもよ?」
「そ、そんないきあたりばったりな……!」



 言うなれば、根拠のない自信。屈託がないというには、あまりにいいかげんで……。
 でも私は、そんな彼女の勢いに、フッ……と惹かれるものを感じたんです。


「そう……ですね、悩んでいても、辛いばかりですもんね」
「そーいうこと! まあ、イヤって言っても、連れて行っちゃうけどねー!」
「わわっ、引きずらないで下さい! まだ、心の準備と引継ぎがー!」
「大丈夫大丈夫。お父様から許可はもらってるから!」



 容赦なく引っ張っていかれそうになり、私は少し不安になりました。


「……も、もしかして、私、もう帰ってこれないんでしょうか」
「私は帰す気ないよ? でも……」



 マキさんはご機嫌で、言葉を続けました。


「お父様からの伝言。いつでも好きなときに、帰って来いって。事情は知らないけど、良いお父様だね?」
「……はい!」



 私は思い切り頷いて。この人と一緒に行くんだと、心に決めたんです。
 週に一度くらいは、髪をブロンドに染め直す。
 それが、今の私の習慣です。
 クララ=ゲーレンは金髪、ということで広報誌に載ってしまいましたから、いまさら辞めるわけにも行きません。
 でも以前と違って、楽しいんですよ、染めているときに。
 ……家の外に出て、少し気楽になったのかもしれません。あるいは、マキさんの性格に、すこし染められたのかな?
 なんにせよ。いつか、どちらかの家族のところに帰るときに。
 笑顔で帰る事ができそうだ……そう思っています。




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