森の中から一羽の鳥が飛び立った。その鳥はあたりをしばらく飛び回った後、場違いな場所に降り立った。
 そこは鋼鉄とコンクリートで作られた軍事施設。広報部隊が駐屯しているベースキャンプだった。

 その鳥は、首を不思議そうに傾げた。
 やはり、自然の中にこのような人工物があることに違和感を感じたのだろうか?
 その軍事施設の中を、大きな荷物を運んでいる3人の人影があった。荷物は大量の洗濯物である。
 「あぁ、かったるい。だり〜」


 「またぼやき始めた」


 「ジョーカー、そろそろこのワンパターンな会話。
   やめてくれないか。俺たちまでバカ扱いされて困る」



 「っんだと! だりいんだから、だるいって言って、何が悪い!」


 「お前、いつも『かったるい』『だるい』『面倒』しか言わないだろ。
   レイチェルさんが呆れてたぞ」



 「いいんだよ、あんなペッタンコの言うことなんて」

 
 レイチェルの話題が出たとたん、ユアンは急に後ろを振り返り、
 ジョーカーに警告するように叫んだ。


 「あ、あんなところにレイチェルさんがいるよ!」


 「ご、ごめんなさい!」


 とっさに身構えるジョーカー、しかしいつものように鉄拳が振り下ろされることはなく、
ユアンの笑い声だけが聞こえた。


 「あはは、冗談だよ」
 「て、てめぇ〜!!」


 握りこぶしを振り上げるジョーカーから、必死に逃げるユアン。
 それを苦笑いしながら黒帯は見ていた。戦い続きの彼らにとって、今日は久々の休息日だった。


 「だいたいよぉ、なんで洗濯機が宿舎からこんな離れた場所にあるんだよ」


 「さぁな」


 「宿舎にあると邪魔なんじゃないかな?」


 「せめて、お姉さまたちの下着も洗えるならなぁ」


 「またそっちか」


 「ジョーカーも好きだよねぇ」


 「俺にはわからん趣味だ」


 「てめぇら、俺を完全に変態扱いしやがって…ん? なんだ?」

 
 突然、ジョーカーはみんなの口を塞いだ。
 しばらくすると、どこからか女性らしき声が聞こえてきた。


 「お風呂場の方から声がきこえるよ」


 「風呂は夕方からじゃないと、入れないはずだが?」


 「まてまて、この声は…マキさんだ!」

 ユアンたちから少し離れた場所に、塀に覆われた温泉施設があった。
 そこには広報部隊の隊長クロウディアと副隊長のマキ、そして補佐役のレイチェルが、日々の疲れを洗い流していた。
 

 「あ〜、幸せ。やっぱ仕事の後は温泉よねぇ」


 「そうだな」


 「ついでにお酒があれば、パーフェクトなんだけどなぁ」


 「ダメだ。酔ったお前を介抱するこっちの身にもなれ」


 「え〜。おさけぇ〜」


 「我慢しろ」


 「ふふふ」


 三人はたまった疲れを取るように、体を伸ばす。


 「やっぱ、これ取り壊さないで正解よね」


 「そう?」


 「だってせっかく作ったのに、わざわざ壊さなくてもいいじゃん。もったいない」
 「そうかもしれないけど、特権の乱用じゃないかしら?」


 「そんなことないわよ。むしろ広報部隊員として、
   これぐらいのご褒美はあってもいいんじゃない?」



 「そうね。上も何も言って来ないし、
   みんなには無駄に肌を露出させる撮影をしてもらっているわけだし」



 「私には、ただのわがままにしか聞こえないがな」


 「そうだ! こんどは娯楽施設も作ってもらって…」


 「マキ、あんまり調子に乗るな。最近、お前をマネする新人隊員が増えている」


 「へぇ〜、じゃあ、あたしがくぐってきた修羅場も、
   体験してもらわないと…ん?」



 「どうしたのマキ?」


 「ん? なんでもないわよ」


 「?」

 マキが見た方向、そこは温泉の雰囲気を出すために設置された竹林と茂みしかなかった。
 だが、その奥。塀の外にはユアンたちが息を潜めて潜んでいたのだ。


 「ふぅ〜、やべぇやべぇ。あやうく見つかるところだった」

 
 マキたちが温泉に入っていることを知ったジョーカーの行動は早かった。
 あっという間に温泉に張り巡らしてある塀に張り付き、羽目板をはずして中に入ろうとしていた。
 
 ユアンたちは慌ててジョーカーを引き剥がそうとするが、まるで巨大な岩石のように、ピクリとも動かなかった。


 「じょ、ジョーカー! こんなことしちゃダメだよ」


 「お前も懲りないやつだな! またレイチェルさんに殴られるぞ」


 「安心しろ。いまレイチェルは温泉に入っている。不意打ちは受けないぞ」


 「そういう問題じゃない! 覗きがよくないって言ってるんだ」


 「うるせぇな。だったら、お前らだけ先に帰ってろ。俺はお姉さまたちの裸を拝むまで、あきらめねぇぜ」


 「そうはいかん。お前がくだらないことでトラブルを起こさないように監視して欲しいと白瀬さんに頼まれているんだ」


 「っんだよそれ!? 俺は子供じゃねえー!!」
 
 ジョーカーは二人の制止を振り切り、塀の中に飛び込んだ。
 が、その瞬間レイチェルの右腕からリズミカルな音が流れ始めたのだ。
 ユアンたちは心臓が飛び出すほど驚き、息を止めた。


 「むっ、これは…」


 「なにそれ?」


 「これは…どうやら緊急事態だ。私は先に出ている!」


 「どうしたのレイチェル? レイチェル?」


 「なんだろ?」


 「わからないわ」


 「騒がしいやつだなぁ」

 
 レイチェルが居なくなり、ようやく息が出来るようになったユアンたち。見つかっていないことに安堵した。
 
 ユアンたちはジョーカーを連れ戻すため、彼が潜んでいる茂みへ、慎重に近づいていく。
 マキたちはそんなこととは知らず、話し続けていた。
 

 「二人で温泉っていうのも、贅沢ねぇ…あれ? 白瀬も来るっていってなかったけ?」


 「白瀬はマキの個人データを調査するって言ってたわ。なんでも、改竄された部分が気になるってことで」


 「あぁ、きっとあれだわ」


 「マキは知っているの?」


 「知ってるっていうか、普通データに残せないっていうか。まぁ、あたしにはたいしたことじゃないんだけどね」


 「もしよかったら教えてくれない?」


 「ん〜、隊長なら教えてあげても、いいかなぁ」
 

 マキは空を見上げた。しかし、その目は空を見ておらず、遠い記憶にある風景を思い浮かべていた。
 そのころ、ようやくジョーカーの許にたどり着いたユアンたちは、説得にあたっていたが…
 

 「黒帯! 今なんて言ったの?」


 「…俺も、少しここに居たい」


 「お前もやっと正直になったんだな。よしよし」


 「別に裸が見たいわけじゃない」


 「じゃあ、どうして…」


 「いや、ちょっとマキさんの話に興味があるんだ」


 「俺も興味あるぜ。裸の次にな」


 「あ〜、こいつと同じ目的じゃないが、しばらく居させてくれ」


 「そんなぁ。もし見つかったら僕らジョーカーと同罪だよ?」


 「覚悟している」


 「諦めろユアン。ほら昔から『覗く阿呆に聞く阿呆、同じ阿呆なら覗かなきゃソンソン』ってな!」


 「うぅ、じゃあ僕は帰るよ」


 帰ろうとしたユアンの腕を、ジョーカーはがっちりとつかんで離さなかった。


 「お前もいてくれ。万一見つかっても、お前がいれば許してくれるかもしれない」


 「僕がいても関係ないよ」


 「いや。ジョーカーの意見は正しい。隊長もマキさんも、お前にはやさしいからな」


 「そんなぁ。僕はイヤだよ」


 「うるさい。ここで逃げたら、大声出してお前も同罪にするからな」


 「ひ、ひどい」


 「すまんが、今回だけは付き合ってくれ」

 
 いやいやながら、結局付き合うことに決めたユアン。
 だが、この誤った判断により、悲惨な運命を迎えてしまうことを、このときのユアンは知る由もなかった。

 「んで、隊長って、どこまであたしのこと知ってるの?」


 「たしか、生まれ育った場所は地球。恵まれた家系で育ったけど、独立心旺盛な貴方は、さまざまな資格や技術を修得。地球人特権ともいえるエスカレーター人生を放棄したけど、立派に一人で勝ちあがったと記憶しているわ」


 「まぁ、だいたい合ってるわ」


 「たしか最後に勤めた先が、小さな旅行代理店だったと思うけど…そこから先はデータがないわ」


 マキが子供っぽく笑いながら、隊長に尋ねた。


 「その代理店、ちゃんと調べてみると、少しはヒントがあったのにね」


 「どういうこと?」


 「隊長も、諜報関係の知識はまんざらじゃないでしょ?」


 「そう、そういうことなのね」

 
 隊長もようやく合点が行ったようで、マキを驚きの表情で見つめた。
 「その代理店、諜報機関の隠れ蓑に利用していたダミー企業ね」


 「そう! そこであたしはスカウトされたわけよ」


 「空白の期間は、諜報員だったのね」


 「まあね。正確には諜報だけじゃなくて、特務も行う特殊部隊の隊員なんだけど」


 「そんな過去があれば、データとして残しておけないものね」


 「しかし、その期間は別のダミーデータが入っていたはずだけどなぁ」


 「白瀬はそっちの道に通じているから、改竄してもすぐに分かるわよ」


 「へぇ〜、あいつ意外とやるなぁ」


 「だけど、どうしてマキはスカウトされたの? いくら資格や技術の修得数が多くても、そうそう諜報員に抜擢されることはないわ」


 「そうそう、だからあたしも最初は冗談だと思ってたけど、なんかいくつかの技能が凄く役立つからって」


 「なにが?」
 「コマンドサンボとか、ローダー技術士とか、電算処理技術士に、えーと通信技術士もあったし。
   他は素潜りとかぁ、調理師の免許に、薬剤師とか…」


 「マキ。いったい、いくつの技術を会得したの?」


 「数は忘れた。まぁくだらないのも、たくさんあったけど近所じゃ要注意人物だったみたい」


 「そうね、修得した技術を悪用されたら、かなりまずいことになるわね」
 

 二人は湯あたりしないように、半身を湯舟から出す。しかし、ユアンたちには背中しか見えない。


 「どうせなら自分たちの駒にすれば、有能な諜報員になるし安全と思ったんでしょ。でもねぇ、スカウトの内容は、はっきりいって脅しだったけどさ」


 「地球政府のやり方は、どれも一緒ね」


 「まぁね。んで、あたしは諜報員としてしばらくがんばったのよ。ただ、はっきり言って、面倒くさいのや、嫌な任務ばかりだったけどね」


 「逆に言えば、それだけ当てに出来る人材ってことよ。捨て駒の場合もあるけど…」


 「どっちにしても、いつまでも続けられる仕事じゃないなって思っていたわ。だから、他の仕事はないかな〜って探していたの」


 「それが広報部隊?」


 「つうか、選択肢はほとんどなかったわ。他にはシークレットサービスとか、引退して山奥で隠居暮らし。どっちもいまいちでしょ?」


 「諜報員としての過去がある以上、普通の生活には戻れないものね」


 「だから、ここを選んだわけ。でも、はっきり言ってここが一番楽よ。お楽しみはあるし、みんないい人ばかりだし、やりたいようにやれるからさ」


 「ふふふ、そうみたいね」
 

 マキは足をばたつかせて、お湯をばしゃばしゃと飛び跳ねさせていた。
 どうやら、自分の話に飽きてきたようだ。それを察して、隊長はふと疑問を投げかけた。


 「そうそう、レイチェルたちは何をしているのかしら?」


 「遅いねぇ。もしかして、もう入らないのかな?」


 「緊急招集もかかっていないのに、そんなに急ぎのことなんてあったかしら?」


 「あー! またジョーカー君がらみじゃない?」
 

 びくりと怯えるジョーカー。悲しいかな、もはや何か悪巧みをしてるとき、
 レイチェルという単語だけで、怯えるほど恐怖を植えつけられてしまったようだ。

 
 「いいよねぇ〜、あんだけ一途なのも」


 「ふふふ」


 「ねぇねぇ、ところで隊長の方はどうなのぉ?」


 「わ、私?」
 

 いきなり矛先が自分に向けられるとは思っていなかった隊長は、めずらしく取り乱す。
 マキはここぞとばかりに攻め立てた。

 
 「隊長って結局どうしたいの? ユアン君だって隊長のこと気にしているし」


 「そ、そんなことないわよ。きっと気のせいよ」


 「ここはズバッといってよ! そうすればあたしだってすっきりするんだから」


 「な、何がすっきりするなの? それはマキの問題じゃ」


 「だから、隊長はどうなのよぉ」

 
 二人のやり取りを盗み聞きしているユアンは、気まずい状況に追い込まれ、
 一人その場を後退するが、ジョーカーに腕をつかまれてしまう。
 「おい! どこにいくんだよ!」


 「だ、だって」


 「ここからが面白いんだろ!」


 「黒帯、もういいだろう? 帰ろうよ」


 「もう少し話を聞きたいが…そろそろ潮時かもしれんな」


 「ユアン、隊長の本音を聞きたくないのか?」


 「いいよ。知りたくない!」


 「ケッ、根性なしだな」


 「もう帰るぞ。お前も満足しただろ?」


 「待て! まだ背中しか見てないんだ! なんとしても、お二人の素敵なヌードを拝まねば…危険だが横に回りこむしかないな。よし、行くぜ」


 「ど・こ・に・いくのかな? 変態君」


 恐る恐る、声の主へ振り返るジョーカー。
 そこには巨大なハリセンを持ったレイチェルと、
 仏頂面の白瀬が馬の調教用の鞭を持って立っていた。
 レイチェルの目は、激しい怒りで燃え上がっており、見るものを恐怖に陥れた。
 それに対して白瀬は、非常に冷ややかな目線で、直視できない鋭さがあった。
 

 「レ、レ、レイチェルさん…それに白瀬さんまで。どうしてここが?」


 「貴様たちが踏みつけている赤いガラス。それが侵入者を発見するセンサーなのだ」


 「なんでこんな場所に?」


 白瀬は持っていた鞭をぴしゃりと叩き、さも当たり前のように応えた。

 
 「敵の侵入を防ぐために設置されたものです。が、まさか今回のような事態で役立つとは思いませんでした」


 「ほら! だから止めようって…」

 
 騒ぎに気づいた隊長たちが、バスタオルを巻いてユアンたちに近づいてきた。
 彼らに、もはや逃げる場所はなかった。
 

 「さ〜て、貴様たち。覚悟はいいな?」


 「か、カンベンしてよレイチェル。だいたい、背中しか見えなかったんだぜ」


 「あん? 聞こえんなぁ」


 「や、やめて…うぎゃ〜」
 

 一部始終を見ていた鳥は、ユアンたちに対する制裁が始まると、まるで興味を失ったかのように、飛び立った。
 翌日、同じように鳥がこの施設に降り立った。どうやらこの場所が気に入ったようだ。
 その鳥はまたしても首をかしげた。それもそのはず、昨日いた連中がまた居たのだ。
 ただ、少し違うのは、アザだらけになったユアンたちが、汗だくになって温泉を掃除していることだった。





©2005 KOGADO STUDIO,INC