「リンリンが行方不明……ですか?」


 隊長からそれを聞かされたとき、マルグリッドは奇妙な感覚を覚えた。
 それは一種の喪失感であり、同時に不安のような感情でもあり……。
 あわせてみれば、安心感といったところだった。
 もうこれ以上、日々を脅かされずに済む、という。
 だが真面目な彼女は、すぐに思い直す。仮にも同僚ましてや同期。周囲からはコンビだとも思われている相手である。
 その相手が消えてしまったというのは、少なくとも喜んでいいことではない。


 「二時間ごとに現在位置を報告してもらうはずが、もう五時間連絡が無いの」


 「……そもそもリンリンは、どこに何をしに行ったんですか? 自分は聞かされていないのですが……」


 たしかに昨日から見ていなかった……と思う。
 とはいえ、リンリンが突然いなくなるのはいつものことだったから、あまり気にしてもいなかった。
 なにしろ彼女は、良さそうな乗り物を見つけると、そのまま乗っていってしまうのである。
 誰の持ち物であろうとお構いなしだ。物理的なカギ程度なら、魔法のように開けてしまう。 
 その上翌日くらいまで帰ってこないことも多いから、持ち主達にとっては迷惑この上ない。
 特にクララなど、実家から新車をもらうたびに被害にあっており、近頃はもう『やられるもの』としてカギもかけていない。
 リンリン曰く、操縦は呼吸のようなものとのことで、止めても止まりはしないのだが……。
 「……リンリンは方向感覚も抜群ですし、迷子になるようなタマじゃないと思うのですが。
   どのあたりで行方不明に? バミューダとかフジジュカイとかですか」



 「うーん、それが一応、地球軍の基地の中なのよ」


 「……? どういうことです?」


 「その基地の秘密監査をしてもらってたんだけど、途中で連絡が途絶えてしまって」


 「はっ!? リンリンに、監査ですか!?」


 「そう、一応、上からのご指名でね」


 「ばかなっ! リンリンにそんなややこしいことできるわけがないじゃないですか」


 呆れ、怒り、心配し……。リンリンのことを語るとき、マルグリッドの表情は、いつもよりずっと豊かになる。
 そんな彼女に、隊長は優しく微笑んで見せた。


 「監査の目的は、ローダーや車両の部品交換における不正を確かめる、ということなの。
   正面から行くならクララがご指名だったんでしょうけど、まずはこっそり調査から……ってことね」



 「う、マシンの中身を見分けられなきゃいけないってことですか……」


 マルグリッドとて素人ではないが、初代のセンチュリオンとMkVを部品で見分けろ、といわれると、さじを投げるしかない。


 「リンリンなら、動かしてみれば判るからね」


 「……そうですね、あいつのカンというか、天賦の才に関しては、認めます」


 なるほど、能力だけなら適任だ……。とマルグリッドは納得する。
 そして半眼になる。


 「……でも、動かしてみたら、騒ぎになるんじゃあないでしょうか」


 「ええ、騒ぎになっちゃったみたいね」


 隊長は挫けない。にっこりと笑う。


 「……だから連絡して来れなくなったんじゃないかしら」


 「そうなるべくして、そうなっただけじゃないですかっ!」


 マルグリッドはどん、と机を叩いた。
 結局いやいやながらも、彼女はリンリン救出任務に赴かざるを得なかったのだ。
 リンリンの行動パターンを最も把握しているのは、間違いなくマルグリッドだったからである。
 件の基地に入り込んだときは、すでに夜になっていた。
 急ごしらえの夜間迷彩に塗られたパイロットスーツを一撫でし、マルグリッドは嘆息する。


 「まったく、こんなものをあつらえて遊んでいる場合じゃないだろうに」


 仮にも、仲間が窮地にあるかも知れないのに、仲間の隊員たちは呑気なものであった。
 装備をわれ先にと準備してくれたし、代わりに行きたがったものもいる。まるでピクニック気分だった。
 ……といっても、マルグリッド自身、リンリンが本当にピンチになっているとは思えなかったが。
 どんな状況だって、乗り物一つあれば、笑って乗り切る少女なのである。


 「……まあ、ゆっくり探すか」


 どやどやとやってきた基地の警備隊から隠れるため、マルグリッドは身を低くする。
 基地の中は、かなり騒ぎになっていた。


 「絶対に逃がすな! 射殺してもかまわん!」


 そんな声が、そこかしこから聞こえてくる。
 どうやら事態は、ただでは済まないことになっているようだった。


 「リンリンのやつ、一体何をやったんだ……!」


 茂みの中でうずくまり、思わず頭を抱える。


 「と、とにかく、今は、あいつがどこにいるかを考えないと」


 クララから借りた伊達眼鏡に、この基地の構造を投影しつつ、考えをめぐらせた。
 彼女の携帯する道具は地球軍の最新式を超えた性能を持っている。
 赤外線探知や輪郭探知も怖くは無い。リンリンも同じモノを持っていたのだから、
 かなり大胆に基地の中を動けたはずだった。


 「外に連絡が出来ないということは、装備を失ったんだろうな。となると……」


 なんといっても軍事基地である。リンリンが乗りたがりそうな乗り物は多い。
 戦車ローダーに限らず、整備運搬連絡用の機械には事欠かない。
 基地にあるもののリストを見ながら、マルグリッドは思わず唸った。


 「……炊事車に入浴車なんてものまであるのか。どれもリンリンが好きそうだなあ……」


 彼女達が普段気付かずに世話になっている機械たちは、あまりに多かった。
 しらみつぶしを考えていたマルグリッドの作戦は、早くも頓挫した。
 となると、他に取りうる作戦は一つである。リンリンの行動をカンで予測するしかない。
 そしてそれは、ある意味容易なことでもあった。


 「……騒がしいほうにいってみるか」


 嘆息しながら眼鏡を外し、マルグリッドは周囲を見回した。
 そこかしこに転がる焦げたタイヤに、ジープの残骸……はまだいいほうだった。


 「うーむ、これがリンリンの本気か」


 倉庫のてっぺんで逆立ちしたまま機能停止しているセンチュリオンを遠目にし、マルグリッドは唸らざるをえなかった。
 何をどうやったらああいう状況になるのかは判らないが、とにかく尋常でないことは良く判る。


 「……小さいものから大きなものに乗り換えていったとすると、あのローダーでゴールか。
   あれから飛び降りて逃げたんだな」


 周囲は一通り探索されたらしく、マルグリッドが潜む緑地にも男達の足跡がびっしり刻まれていた。
 それを嫌そうな顔で避けながら、マルグリッドは進む。
 幸い、ここの人影はまばらになっていた。
 月明かりを頼りに並木を一本一本見上げていく、その彼女の足取りが止まった。


 「ん……」


 目を細め。しばしの沈黙。
 そしておもむろに木を蹴り飛ばす。
 そのとたん、ガサガサと軽い音を立てて、何かが落ちてくる。


 「あ、あれ〜〜!?」


 迷彩色のパイロットスーツを着た、二本お下げの少女。
 そのお下げが、枝に絡まって。


 「……ぐえ」


 ぶらーんぶらーんと揺れる小柄な体を、マルグリッドはしばし冷めた目で見守って……。
 それが白目になり泡を吹き始めたところで、少し慌てて救出をはじめた。
 周囲の人間に見つからなかったのは、幸いといえるだろう。
 「やー! またマルグに助けられたね! サンキューシェイシェ! ありがとー!」


 物陰での人工呼吸の結果、リンリンは見事息を吹き返した。
 そして起き上がり様に、元気一杯でマルグリッドに抱きつく。


 「……あー、確かに前もこんなことあったなあ。おまえと最初に会ったとき」


 声色こそうんざりしていても、マルグリッドの顔もまんざらではない。
 が、いつまでもここで話している訳にも行かないのだった。


 「……まったく、木の上でのんびり寝てるとはな。助けに来る必要も無かったか?」


 「やーん、そんなこといわないで。丸一日逃げっぱなしの運転しっぱなしで、疲れてたんだよー」


 そういうリンリンの顔は、遊園地から帰ってきた子供のようだった。
 余程いろいろなモノに乗り、色々なピンチを切り抜けたのだろう。
 ……本当に助けに来る必要は無かったのではないか、とマルグリッドは思う。


 「で、監査のほうは進んだのか?」


 「ねえ聞いてよマルグ、ここの人たちってば、私一人の乗った車を、
   30台くらいで追いかけたんだよ。ひどいよね」



 「そうだな、ひどいな。で監査のほうはどうした?」


 「だから私、怒っちゃって。車の群れに突っ込んでどかーんって……!」


 「こっちの話も聞けえ!」


 思わず叫んだその語尾に、遠くからの笛の音が重なる。


 「あっちで女の声がしたぞー!」


 「昨日のやつかもしれん、さがせー!」


 慌てて口元を抑えたマルグリッドの顔を、リンリンが下から覗き込んだ。


 「……だめだよマルグ、大きな声出したりしたら。常識無いなあ」


 マルグリッドの鉄拳が、音も無くリンリンの頭を殴り落した。
 おだんご頭が地面で一回バウンドし、ひんひん泣き声をあげる。


 「ううっ、なんでぶつのー」


 「やかましい。……で、脱出したいんだが、監査は済んでるのか?」


 「うー。一応、いろいろ触ってみたよ。新品の部品に交換してるはずが、中古部品になってるのがいっぱいあった」


 「それだ。差額を利用しての横領だな。良くやったぞリンリン。証拠は押さえてあるな?」


 「隊長に言われたとおりにやったよー」


 他の荷物は無くしたけど、証拠を納めたマイクロチップだけは残ってる、とリンリンは無い胸を張った。
 といっても、もともと絶対無くさないように、ベルトに固定されていたチップだったのだが。


 「よし、なら目的は達成したか。あとは脱出だな」


 「……うーん、それが難しいんだよ。さすがに人が一杯いるからさあ」


 「お前がさんざん荒らしまわったからだろうが。まあ、今度は二人いるんだ、なんとかなるさ」


 どん、とマルグリッドが厚い胸を叩く。
 それを見ていたリンリンは、ほんの少しだけ、やわらかな頬を染めた。


 「……マルグって頼れるぅ!」


 「バカ。誉めてもなにも出ない。……ほら、急がないと連中、こっち来るぞ」


 影に隠れてこそこそと、二人はその物陰から離れた。
 「いたぞ、こっちだ!」


 兵たちの持つサーチライトが、一斉に動く。
 倉庫の壁にマルグリッドの影が大きく映し出される。
 クララ謹製のスーツとはいえ、光学迷彩までは搭載されていない。
 兵たちが制止の声をかけてくるのは、セオリーどおり。そこで動けば威嚇ナシの発砲が来る。
 それをマルグリッドは良く知っていた。


 「……こんばんは、侵入者です」


 ひょいと手を上げて、ぎこちなく笑う。
 遮光モードにした伊達眼鏡をかけていても、向けられた大量の銃口の威圧感は、ひしひしと伝わってきた。
 兵たちは素早く半円形に展開している。人数は多く、装備は充実。
 ほぼ生身のマルグリッドには、もはや逃亡の手段が無くなっていた。
 だが、なるべく多くの目をひきつける必要があったのだ。

 「よーし、抵抗を止めて、そのまま動くな!」


 手を上げて指示してくるのは、この基地の偉い人間だ。
 おそらく、横領に直に関わっているのだろう、目が血走っている。
 捕まったら軍法で定められた処置以上に、ひどい目に会う……。マルグリッドはそう確信した。
 だが捕まることは無い、と安心できるのだ。なぜならば。
 兵たちの壁の向こうから、灯りも無しに近づいてくる大きな影があったから。
 極力音を殺し、それでいて速く。
 その機械は、まるで闇に住む獣のように操られていた。運転席の少女の手によって。
 男たちがようやく音に気が付き振り返ったのと、影がエンジンの咆哮を解き放ったのは、同時。
 驚く兵たちの上を、躍り上がった影が飛び越えて、サーチライトの中に姿を現す。
 ……それは特別の機械ではない。ただのジープに過ぎない。
 だがリンリンが操るとき、車は空だって飛んでしまうのだ。


 「……なっ!」


 男たちが絶句し、マルグリッドの頬がほころぶ。
 もちろん、ジープに翼が生えていたわけではない。正確には、段差を使ってジャンプしたに過ぎない。
 それでも男たちの包囲網を飛び越えるには十分だったのだ。
 着地と同時に90度向きを変え、ジープはマルグリッドの前に滑り込んでゆく。
 速度は落ちない。マルグリッドを跳ね、壁に激突する勢い。
 だがマルグリッドは避けない。運転席から伸ばされる細い手をだけを、しっかりと見つめる。


 「マルグー!」


 タイヤのあげる悲鳴にも、かき消されはしない呼び声。
 同時にマルグリッドの足が地を蹴り、手と手が繋がる。そのままジープの中に引き込まれる。
 車体が壁に激突しそうになる瞬間、リンリンの足は思い切りアクセルを踏み込んだ。
 量産品に過ぎないはずのジープは、そのパワーに応えてみせる。
  まるで慣性を無視したかのように……壁すれすれで走り出す。
 その勢いはまるでレースカーのそれだった。


 「よーし、良くやったな、リンリン」


 「えへへ。ほめてほめて。あとナビはよろしくぅ!」


 マルグリッドが指差す方向を睨み据え、リンリンは一気にハンドルを切った。
 進路上にいた兵たちは、銃を撃つことも忘れ、ひたすらあわてて道を開ける。
 猛然と駆け抜けていくジープを、誰もがただ、見送っていた。


  「……ハッ! まて、逃がすなー!」


 あっけにとられていた兵士達が我に返ったときには、すでに車体はサーチライトも届かないところへ走り去っていたのだ。


 「あははー! いけー! どんどん走れー!」


 爆走を食い止めようとする警備兵達を、リンリンは大雑把なハンドル捌きですり抜けていく。
 タイヤが描くカーブはS字どころではなく……それでいて転倒も接触も起こさない。


 「うわうわうわ! なんちゅー運転をするんだー!」


 後部座席で遠心力に翻弄されるマルグリッドは、あっという間にグロッキーになる。
 最後の方向指示を終えた瞬間、彼女は座席からずり落ちた。


 「ぐふっ…… リ、リンリン! 大丈夫なんだろうな!?」


 「大丈夫、轢いてないし、撃たれても当たらないから! それより、マルグ。イスにしっかりつかまってて」


 「え?」


 慌てて前を見たマルグリッドの眼に、基地の正門がドアップで映った。


 「お、おい。あれは飛び越えられないぞ!」


 「だいじょーぶ、なせばなるっ!」


 リンリンがアクセルを更に踏み込むと同時に、がくんと縁石に乗り上げる。
 一瞬の衝撃。そしてそれに続く浮遊感。
 門の前で待ち構えていた兵士達が、夜空を仰いだ。


 「うわーーーーーっ!」


 検問所に激突。正門でバウンド。外の道路に墜落して一回転。
 それはあまりかっこいいアクションではなかったけれど。


 「よーし、突破成功! 計画どおり!」


 「……ああうん、こうなるよな。判ってたはずなんだ。判りたくなかっただけで」


 なぜかちっとも壊れていないジープは、砂埃を巻き上げて急加速する。
 基地内の兵士達が門に駆けつけてきたとき、ジープはもう、闇の中へと消えていた。
 白み始めた空の下、無人の道を走っていくジープ。
 窓から吹き込む冷たい風を浴びながら、マルグリッドは隊長への無線報告を終えた。


 「救出任務はほぼ完了。あとは帰るだけ……。まったく、大騒ぎな任務だったな」


 「あははー♪ 楽しかったよねー」


 「おまえのせいだ、おまえのー!」


 「わあ! 首絞めないで、事故る事故る!」


 ジープはしばらく蛇行していたが、程なくまっすぐ走り出す。


 「……やれやれ。これに懲りたら、もうちょっと後先考えて行動するようにしろよ」


 「ひどいなあ、私だっていろいろ考えてるよ。……今度だって、ちゃんと脱出できたじゃない」


 「自分が助けに来てやったからだろうが」



 「うん、だから、来てくれるって思ってたし」



 あっけらかん、と言うお団子頭に、マルグリッドの手が、ぽんと乗せられた。
 呆れて、諦めて、そして嬉しそうな、マルグリッドの表情。

 

「……そっか、自分が助けに来ることは、当然……って思っててくれたのか」


 「もっちろーん。だって実際、来てくれるしね」


 「そうか……そうだよな。それでもいいか」


 子供のように無邪気に笑うリンリンを見て、マルグリッドもまた、屈託なく笑った。
 とても晴れやかな気分だった。
 そんな幸せなドライブを、しばらく満喫して……。
 やがてマルグリッド生来の、几帳面な顔が戻ってくる。


 「ところで……この道、どこだ?」


 帰り道を検索しようとして、ハタと気が付く。どうも周囲の風景に見覚えがあった。
 ずっと昔にでも来た事があったか、と頭の中を探るが、心当たりが無い。


 「……この道? さあ、どこだろう? 適当に走ってきたからなあ」


 リンリンもあっさりと首をかしげ、左手で空中に地図を書き始める。


 「リンリンの方向感覚も狂うときがあるのか。やれやれ……」


 マルグリッドは一息つき、伊達眼鏡をかけなおした。
 現在位置検索。たちまち二人の居場所が図示される。それは見たことのある、施設の側だった。
 同時にリンリンが嬉しそうな声をあげた。


 「あー、やっぱり日ごろの癖が出ちゃったんだよ、マルグぅ」


 前を見たマルグリッドは、思い出す。リンリンがいなくなって良かったと感じた瞬間のことを。
 そしてあの感覚は正しかったのだと理解した。
 そこに見えたのは、銃を構えた沢山の兵士達と、先だって突破してきたはずの基地の門。


 「……これ借りたクルマだからさ。返すためにもとの場所に戻ってきちゃってた」


 「……あほかーっ!」


 二人はちゃんと隊長のところに戻ることができるのか……。それを語るには、まだまだ長い物語が必要になりそうだった。



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