「みなさん、今日と明日は、予定通りに水着の撮影ですよ。頑張ってくださいね」


 白瀬の楽しそうな声が、ブリーフィングルームに響き渡った。


 「よっしゃー! 今回もみんなを悩殺よ!」


 即座に気勢を上げるのが、マキをはじめとするポジティブ派。


 「今日も明日も水着撮影か! いいかげんにしろー!」


 怒りをあらわにするのが、レイチェルをはじめとするネガティブ派。
 つまりはレイチェルとマルグリッドである。
 場合によっては、コニーもネガティブ派に加わるのだが、今日の彼女はすでに諦め顔だった。
 ヒビキやアリーナのような、我関せずの隊員たちもいるが、基本的に広報部隊はポジティブ派が優勢だ。
 特に新人隊員たちが来てからは、それが顕著だった。
 つまりは、ネガティブ派の分が悪いということである。
 「いいかげんにしろと言われましても、これはお仕事ですから。命令です」


 白瀬がにこにこと、レイチェル達の前にやってくる。
 彼女がこうして誰かの前に立つ状況は決まっている。白瀬側が絶対に有利なときだ。
 レイチェル達はなんとか彼女に対抗しようと口を開こうとしたが……。


 「なんなら、前の撮影のときに使った水着、また着ていただいてもいいですよ?」


 その一言で、両名共に小さくうめいて沈黙する。
 その視線は、白瀬がいつのまにか手にしている鞄に向けられていた。
 僅かに開いたチャックから、カラフルな水着が覗いている。


 「……嫌だっ! スクール水着はもう嫌だっ!」


 「じ、自分も、紐水着だけはもう勘弁ですっ!」


 いきなり錯乱するレイチェルとマルグリッド。
 それを遠くで見守るコニーは、そっと目元を拭う。


 「ああ、上層部はなにを考えて、白瀬さんに撮影の全権委託なんて……」


 先日、度重なりすぎる撮影会に激怒したネガティブ派は、白瀬に抗議をしたものの……。全権委託のお墨付きを持った白瀬は手ごわかった。
 各自、はずかしい水着を強制的に着せられて、精神的に屈服されられてしまったのだ。

 「ご不満ですかコニーさん? あなた達のおかげで読者の反応は上々でしたよ?」



 「……おかげで私、お嫁にいけない体になりました……」


 心底不思議……といった感じの白瀬の言葉を喰らって、コニーはめそめそと泣き崩れる。
 その褐色の肩を、マキがぽん、と叩いた。


 「やー、コニーの水着はホントすごかったね。さすがのあたしでも、アレははずかしくて着れないよ」


 「う、うわーん!」


 「あ、あれ? しまった、慰めにならなかった?」


 号泣するコニーと、おろおろするマキ。
 そんな二人を見て、白瀬が楽しそうにため息をついた。


 「部下を泣かせちゃいけませんねマキさん。もっと相手の気持ちを考えてあげないと」


 その瞬間。隊員たちは一斉に、「おまえがいうな」と心の中でツッコんだ。
 結局のところ白瀬は、隊長以外の意見は、笑顔で無視する女なのである。
 柔らかそうに見えて、心は阿修羅……というのが、隊員たちによる共通認識だった。
 隊長がネガティブ派を庇っていれば、多少は白瀬も遠慮をするのだが……。
 先日から隊長は、ユアンやジョーカーのお守りの任務についてしまっている。
 そうしないと、ジョーカーの乱入で、撮影会が余計に混乱するからだ。


 「マルグリッドさん。今日は普通のビキニですか?」



 結局、白瀬には逆らえず、隊員たちは各自水着を押し付けられた。
 諦め顔で手中の衣装を見つめるマルグリッドの顔を、コニーが遠慮がちに覗き込む。


 「……かなりラインがきわどいけどな。
  こないだのよりはマシだから、我慢するべきか……」



 「……そうですね。レイチェルさんも、フリル付き水着だけど、我慢するって仰ってますし……。私も……Tバックですが、我慢します……」


 重苦しい空気のネガティブ派とは対照的に、ポジティブ派は気楽なものである。


 「わー♪ この水着、かわいいですぅ♪」


 「おー、アタシのは、レスラー衣裳風の水着? 考えてくれてるじゃん、さすが白瀬!」
 たまおとアリシアに至っては、その場で着替えだしそうな雰囲気だった。
 マキもきっちり胸元を強調した水着を渡され、ご満悦だ。


 「うーん、こりゃ悩殺ものだね。……あれ、白瀬どしたの、つまらなそうに?」


 「えっ、そう見えましたか?」


 いつもと変わらぬ微笑を浮かべていた白瀬だったが、マキの言葉にハッと頬に手を当てた。
 そのまま、軽く頭を振る。


 「……いえ、まあ、確かに。……レイチェルさんたちが従順になってしまって、張り合いがないなあと」


 その白瀬の発言と同時に、ブリーフィングルームの三箇所ほどで、モノを殴る音がした。
 壁を殴ってしまったレイチェルはそのまま涙目でしゃがみ込み、ロッカーを殴ったコニーは手が抜けずにもがいている。


 「……あ、ちょっと楽しくなりました、今」


 白瀬は珍しく、声を殺さずにクスクスと笑った。


 「うーん、さすが白瀬、侮れない性格」



 軽く唸っていたマキだったが、ふとその視線が、白瀬の胸元に向かった。


 「……ん? ふむ……これは」



 「な、なんです、マキさん?」


 その視線に、なんとなく粘っこいものを感じ、白瀬は僅かに身を引こうとする。
 だが彼女の肩は、マキの両手にがっしりとホールドされてしまった。


 「張り合いが足りないならさ、いい方法があるわよ、白瀬」



 「は、はい、なんでしょう?」


 「あんたも一発、恥ずかしい水着で写真に撮られてみれば?!」


 その瞬間。ブリーフィングルームにいた隊員たちの視線が、一点に注がれた。
 視線の集中する先で、白瀬の張り付いたような笑顔の上に、冷や汗が浮いている。


 「え、えーと。なんでそんな話になるんですか?」



 「いやいや、けっこー刺激的で、快感だと思うよ? 白瀬ならプロポーションも十分だし……うっひっひ」


 マキの視線は、さながら中年オヤジのそれ。そして同時に、獲物を見つめる狩人のもの。
 服の下を見透かされたように感じて、白瀬は思わず胸元を抑えた。
 そして、そのために、彼女自身の武器……すなわち口先を使うのが、一瞬遅れる。
 彼女が気が付いたときには、周囲を他の隊員たちに囲まれていた。

 「わたしも、白瀬さんの水着、みてみたいですー♪」


 ……たまちゃんの期待に満ちた目。


 「そういえば、白瀬さんの水着って、見たことないですね」


 ……クララの好奇心に満ちた目。そして。


 「ふっふっふ……」


 底冷えのするような含み笑いと共に輝きを増す、復讐心に満ちた三対の目。


 「ええとみなさん、何をしようと……。……すいません! 仕事があるので、これで……!」


 器用に体を捻ってマキの手から逃れた白瀬だったが、その行く手をマルグリッドの手が勢い良く塞いだ。


 「白瀬の体型だと、紐水着とか、似合いそうだな? こないだ自分に着せてくれた奴だ。あれを覚えているか、白瀬?」



 「お、覚えてますよ。布の幅が一センチ位しかなかったアレですね」


 白瀬の顔は、まだ微笑みを保っている。その口元は、ひくひくと震えていたけれど。


 「……案外逆境に弱いな」



 様子を伺っていたアリーナがぼそりと呟き、ヒビキも深く頷いた。


 「うむ。攻撃は強いが、守りが弱い典型だな」


 そんな彼女達の会話が聞こえているのかいないのか。
 冷や汗たらたらの白瀬の首に手を添え、その感触を楽しみながら……マルグリッドは問いを続ける。

 「どうだ白瀬? あの紐水着を着てみるか?」



 「け、結構です。私はあくまでも一介のオペレーターという立場ですから」


 「オペレーターであっても、広報部隊の一員だろう。一度くらい、撮影会に協力しろ」


 そこまで一気に口にしたあと、マルグリッドは軽く息を吸った。
 考えをまとめるためか、それとも溢れる怒りを制御するためか。
 そして彼女は、静かに言ったのだ。


 「……少しは貴様も、我々の辛さを体験しろ」


 「嫌です。あのような悪趣味な水着で衆目に晒されるなんて、バカ丸出しじゃないですか」


 真顔で答える白瀬。
 ほう、とマルグリッドは呟いて、指先に力を込めた。


 「そんな代物を先日は、無理やり着せてくれたわけかー!」


 「ちょ、ちょっとマルグリッドさん、何もそれくらいで本気になることは……はぐっ」


 怒りに震えるマルグリッドには、白瀬の『笑って無視』も通じなかった。
 白瀬を宙吊りにした両腕に、みるみるちからこぶが浮かび上がっていく。


 「わー、ストップマルグ! 白瀬の首がポキっていっちゃうー!」


 「えーい! 止めるなリンリン! ポキっといかせろ!」


 ギリギリのところでリンリンが止めていなかったら、白瀬の人生はそこで終わっていただろう。


 「げほげほ。ま、まさかこんなところで、味方に殺されかけるとは思いませんでした」



 さすがに笑顔も消え、本気で咳き込む白瀬の鼻先に、ひょいと突き出た顔がある。
 めらめらと燃える、怒りの瞳をあらわにした、レイチェルの顔だった。


 「……紐水着が嫌なら、スクール水着だな、スクール水着。このあいだ私に着せてくれた奴だよ。あれを覚えているよなぁ、白瀬ぇ?」



 「え? えっと、何のことでしょうか?」


 さすがの白瀬も、不利な状況を悟り、とぼけてかわそうとする。
 しかし逃げ道を探そうにも左は壁、前にはレイチェル、背後にマルグリッドではどうにもならない。
 唯一空いているはずの右側には、野次馬と化した隊員たちが分厚い壁となっていた。


 「くっくっく、白瀬、しくじったな」


 低い背を精一杯後ろに逸らし、レイチェルは極限まで低い笑い声をあげた。


 「隊長がおらんということは、お前が好き勝手できるだけじゃない。……私たちもその気になれば、好き勝手ができるってことなんだよっ!」


 白瀬はその言葉を最後まで静かに聞き、それから周囲の隊員たちを見回した。
 既に異様な熱気に包まれ、いまにも白瀬目掛けて崩れ落ちてきそうな、女の子達の壁を。

 「……ふっ」


 白瀬の手が「お手上げ」の形に上がる。それが合図だった。


 「……みんな! こいつに水着を着せるんだっ!」



 スクール水着を握り締めたレイチェルの号令一下、白瀬の体に、隊員達がノリノリで群がっていく。


 「ぎゃー! 止めて下さい! ダメです!」



 白瀬の声が、初めて悲鳴に変わる。それも、かなり切羽詰ったものに。
 しかし、その程度でたじろぐような隊員たちではなかった。


 「よいではないか、よいではないかー! あははーっ!」



 「きゃあ! 服を引っ張らないで下さい、リンリンさん! じょ、上層部に訴えますよ!」


 「この屈辱を思い知らせることができるなら、後でどうなろうと知ったことか!」


 「じ、自暴自棄にならないでください、マルグリッドさん!」


 かしましい声と共に、灰色の制服が残骸になって飛び散っていく。


 「あっはっは、参謀本部の制服は、簡単に破れるなー!」


 「わあっ、中身は黒ですぅ♪ あだるとな魅力ですぅ♪」


 「や、やめてください、アリシアさんに五十嵐さん! セクハラどころじゃすみませんよっ! 服の損害賠償を……」


 じたばた暴れる白瀬の手足を、褐色の腕が取り押さえる。


 「あ、あはは……コニーさん。目が怖いです……」


 「……やられたことは、やりかえします。私が、私が、何をされたかおもいしれーっ!!」


 「きゃー! やめてー! その一枚は取らないで下さいー!」


 「……白瀬さん、柔らかいです……」


 「ひゃあー! いつのまに、どこ頬擦りしてるんですか、ルゥさんー!?」


 黄色い悲鳴にカタリーナが思わず頬を染め、ミリエッタは恥ずかしがるフリをしながら観察する。
 クララはごくんとつばを飲み、ずりおちた眼鏡を慌ててかけなおしていた。


 「……ふむ。やはり、誰も止めないようだな」


 「さもありなん。自業自得だ」


 ヒビキとアリーナは、ただ静かに成り行きを見守っている。


 「あ、貴方たち……後で必ず後悔しますからね」


 「わっはっはっ! そんな格好では、脅し文句も効果がないぞ」


 高笑いを続けるレイチェルと、怒りの目で睨みながらで最後の一枚を守っている白瀬。
 その二人を交互に見ながら、マキはうんうんと頷いていた。


 「まあ、当初の予定とは違ったけど、刺激的は刺激的だね。白瀬、満足?」


 「マキさん! 止めてください! 隊長がいないなら、あなたが一番偉いでしょう!?」


 「まっさかー。止めるわけないじゃん♪ こんな面白そうな状況」



 顔の前に飛んできた黒い布地をキャッチして、マキはにやりと笑った。


 「あっ! マキさん! それ、返して下さい!」


 「あははは、鬼さんこちら、手のなるほうへ!」


 手中のものを、ポンとレイチェルに投げ渡す。


 「貴方たち! 絶対許しませんよ!」


 微妙に涙声になりながら、皆にもみくちゃにされていく白瀬。
 その恥ずかしい姿を、クララのデジカメが最高画質で激写していた。
 ……その時撮られた無数の写真は、レアものとして、軍の雑誌に大々的に載った。
 もっとも、なぜか参謀本部の圧力がかかり、販売前に発行停止となってしまったが。
 しかし闇のルートから流出したそれは、広報部隊の伝説として、長く長く前線の兵たちに愛されたという。
 なお、当時の記録では、翌日にも撮影会が行なわれたとされている。
 白瀬の復讐が行なわれたであろうその会の写真は、一枚も残っていない。
 当時の記録はその理由を雄弁に物語っている。……風紀違反により、検閲削除、と。



©2005 KOGADO STUDIO,INC