あれから数ヶ月。僕は忙しい毎日を送らざるを得なかった。
学院の生徒のために建てられたアパートを借りる手続きに、引っ越しの準備。
制服や教材の手配などなど。それでも、休みの日には積極的にアルと会えるようにした。
でも、例えどんなにがんばったとしても、残された時間には限りがある。
僕とアルは二人とも、その猶予が少なすぎたと感じていた。
そして僕達は、最後の一日を共に過ごしている。

「少しだけ、泣いてもいい?」

抱きしめられたまま、アルが呟いた。
僕は答えの代わりに、両腕に力を込めた。
しばらくしても、すすりなくような声も嗚咽も聞こえない。
彼女はただ、肩をふるわせていた。胸元が熱くなり、僕まで泣いてしまいそうになる。
でもその前に、アルは気丈に笑顔さえ浮かべ、お互いの身体を離した。

「ごめんね、困らせるようなこと言って。大丈夫、もう泣かないから」

僕は言葉に詰まり、ずれてしまったマフラーをもう一度首に巻き直す。
アルが作ってくれたそのマフラーに首をうずめると、彼女の匂いがするような気がした。

「そのマフラー、間に合って良かった。
ただ、ピオーヴァの街はここよりずっと南だから、
あんまり必要ないかもしれないけどね」
「いや、冬はどこでも寒いから。大切にするよ」

そしてしばらくの間、二人とも押し黙ってお互いのことを見つめていた。
話したいことはたくさんあり過ぎて、その逆に時間は少ない。
あれもこれもと頭の中では思いつくんだけど、それが本当に今この瞬間に必要なことなのかと迷ってしまう。
そうして時間を潰してしまっていることに気づいていながらも、口は開かなかった。
その沈黙を破ったのは、アルのほうだった。こういう時は、やっぱり女性の方が強いものなんだろうか。

「そうだ。あと一つ、クリスに渡すものがあったんだ。
今日中に渡しておかないと、 荷物の中に入れられないからね」

そう言って彼女は鞄から、厚い封筒のような物を取り出した。
十センチくらいの厚さはあるだろうか。
よく見ると、封筒そのものだった。続いてビニールに包まれた紙の束が出てきた。
それも、かなりの量がある。

「それは?」
「この前、毎週手紙をくれるって言ったでしょ? だから、こっちで用意しちゃった。
このレターセット、全部で百五十枚以上あるの」
「……それはまた、ずいぶん数があるね」
「クリスが戻ってくるまでの日にちを数えて、毎週一回、送れるように揃えたんだよ」
「……暇だったんだね」
「うん。だって、クリスと全然会えなかったから」

すねるようにアルが口をとがらせ、それから二人で顔を見合わせて笑った。
ちょっと前なら、僕もそんな冗談は言わなかった。
もし言ったとしても、アルは泣きそうな顔をして謝ってしまっただろう。
でも、そんな冗談を言い合えるようになるだけの時間はあったようだった。
アルの手からそのレターセットの束を受け取ると、意外に重く、量もそれなりにあった。

「結構あるんだね。ま、三年分だから、仕方がないか」
「うん、そうだね。私の部屋にも同じだけあるけど、それだけで引き出しが一個埋まっちゃった」

ゴムでとめてある封筒の一つを指で触ってみて、一枚一枚は驚くほど薄いんだと実感する。
三年分の重み、とでも言えばいいんだろうか。
驚くほど厚みのあるその束を握りしめて、僕はもう一度アルに言った。

「毎週手紙を書くよ。学院でどんなことしたとか、なにがあったとか。書くことがないようなときには……
くだらないことしか書けないかもしれないけど。それでも欠かさず書くから」

泣きそうな顔をして、アルは頷いた。
湿っぽい雰囲気を払拭するため、手に持った束を掲げ、今度は明るい口調で付け加える。

「でも、これだけあると、全然減ったように見えないんだろうね。最初の一ヶ月とかは」
「……そうだね。一年経って、ようやく三分の一だもんね」

笑わせようとして、失敗したのがすぐにわかった。
その言葉は、一人で過ごさなければならない時間の長さを、改めて認識させるだけだった。

「……え、えっと」
「あ、でも!」

早く他の言葉を、と考えを巡らせていると、なにか良いことでも思いついたように、アルが明るく言う。

「よく考えてみたら、なくならないよ」
「え?」
「だって、一つ封筒が無くなる度に、クリスからの手紙がまた一つ届くんだもん。
減るのと同じ数だけ、増えていくんだから」
「……でも、それなら」

それならどうしてアルは、そんなに明るい顔をしているんだろうか。
その疑問も、続く言葉ですぐに消え去った。

「私の引き出しがクリスからの手紙で埋まっていくって考えたら、
ちょっとだけ嬉しいかなって」
「ああ……そっか」
「いつか、その引き出しがクリスの手紙で一杯になったときに、クリスが帰ってくるんだね」
「……それ、いいね」
「でしょ? うん、そう考えよっと。うん」

アルは笑顔で、その名案に自分で何度も頷いている。
これからの三年間を過ごす新しい家に着いたとき、これでまず何をするかが決まった。
学生のための備え付けの家具の、一番良い引き出しを見つけて、そこにこの手紙の束を入れよう。
そして、その日の内に一枚目の手紙を書こう。
内容はなんでもいい。部屋が思ったより綺麗だとか、汚いだとか。
窓から見える景色でも構わない僕が感じたこと全てを、手紙に託そう。

「さて。じゃあ、そろそろ帰らないと。トルタもお父さん達も心配してるかも。
明日、朝早いんだったよね?」
「朝の六時に列車に乗るんだったかな。それでも、着くのが夜遅くなんだって」
「クリスは、朝起きるの苦手だから……ちょっと急がないとね」

アルは笑顔を浮かべ、早足で僕達の家へと向かって歩き出した。
慌ててその後ろについて歩く。
心残りはまだまだあるけど、それも含めて手紙で話そう。
例え距離は離れていても、その手紙が僕達を繋いでくれる。
最後の最後に、二人とも少しだけ前向きになれて、本当に良かった。

「アリエッタ! ちょっと待って!」

それが嬉しくて、もう一度彼女のことを後ろから抱きしめた。

 

End

 

著:Q'tron

 

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