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人がいなくなり、がらんとした会議室で、ジーンは一人、タバコをふかしていた。アルミでできた安っぽい灰皿は、無数の吸い殻で埋め尽くされている。しかしジーンはそれを気にする様子もなく、吸い終わったタバコをその中に押し込んだ。
そして息つく間もなく、次のタバコへと手を伸ばす。
ケースからタバコを一本取り出すのと同時に、ドアがノックされた。若い研究員の誰かだろうかと首だけ向けて火を点ける。
「あの、失礼します」
おそるおそると言った様子で中に入ってきたのは、アイだった。彼女の目となるアロイスは、側にいないようだった。
「どうかしたの? 忘れ物?」
「いえ、ジーンさんに少しお話があって」
アイは両手を前に付きだし、机に行き当たった所で身体の方向を変え、並べられた机に沿うようにしてジーンへと近づく。途中に何度か、机の下に入れ忘れた椅子にぶつかったのを除けば、ジーンが感心するほどその歩みは滑らかだった。
「慣れたものね」
「ええ。もう目が見えなくなって、長いですから」
わずかに距離を置き、アイは立ち止まる。そして首を傾げ、軽くせき込んだ。
「……大丈夫?」
「え……ええ。タバコですか?」「そうよ」
「しかも、煙が出る方のタバコなんですね」
「ノンスモークのなんて、タバコじゃないわ」
ジーンは、ここ数年で人気となった、煙の出ないノンスモークのタバコを、軽蔑していた。もとより喫煙者の数はこの国だけを見ても確実に減ってきていて、どちらが主流とも言えない状態ではあったが。
嫌煙活動などというものが叫ばれだしたのはもう百年も昔の話で、今では「禁煙」と書かれた張り紙やプレートは姿を消した。代わりに「喫煙」と書かれた張り紙やプレートが存在しない場所での喫煙など、訴訟騒ぎすら起こしかねない。特に煙が見える場合、神経質になる人間が多いようだと、ジーンは思っていた。
しかしこの悪癖を今更変える気もなく、ここのトップである今の身分を良いことに、この施設は今や、全面喫煙となっていた。
とはいえジーンは、アロイスの鍵ともなり得るこの少女に対してわずかながらの自制心を持ち出し、すぐさま火を消そうとした。
しかし――
「どうぞ、お構いなく」
というアイの言葉に、その手を止めた。
「ありがとう」
礼を言う理由も本来ならないはずだったが、ジーンは自然にそう口にして、再びタバコをくわえた。
「それで、私に話って?」
「……ええ」
アイはわずかにためらい、それから尋ねた。
「あなたは、なにをしようとしているんですか?」
あまりにも抽象的な言葉に、ジーンはどう答えて良いかわからなかった。
「今日のお話……あれは、ほとんどが本当でしたが、たった一つだけ嘘がありましたね」
ジーンは再び沈黙を守り、アイが何を言おうとしているのかを探ろうとする。しかし、結局はアイが続ける以外に、それを知る術はないと早々に諦めた。誘導尋問の可能性も、捨てきれなかった。
「私がどんな嘘をついたっていうの?」
「約五週間ほど前、地球に向かって飛来する巨大な隕石を、我が合衆国の誇る、優秀な衛星が察知した」
その言葉を言った時のジーンを真似るように、抑揚も少なく、説明的な口調でアイはそう呟く。
「ああ……そのことね」
ジーンは悪びれた様子もなく認める。しかしアイは、不審がるようにゆっくりと見えないはずの目を細めた。
「……なにが嘘で、なにが本当なんでしょうか?」
「わかってて指摘したんじゃないの?」
今度はジーンが、疑るような視線をアイへと向けた。
「……いえ、ただ、あなたが嘘をついているんじゃないかって、そう思っただけです」
「その割には、断定的な口調だったけど」
「目が見えない分……言葉とか、口調とか……そういった事には鋭いほうなので」
アイの弱々しい口調に、ジーンははっと思い当たったようだった。
「あなたも異能者ね。例えば嘘を、聞き分ける力か……もしくは……」
「……」
アイは、一瞬怯えたように身を引いた。
「怖がらなくてもいいわ。こう見えて、異能者について研究している科学者だから。あなたのような人は何人も見てきたからわかるの」
「……わかりました。それは認めます。でも、あなたが異能者を研究している科学者?」
「嘘か本当かわかるんでしょ? 尋ねるまでもなく」
「……ええ。では、なぜこのようなことを?」
「このプロジェクトに抜擢されたのが、今から五週間前。宇宙工学の偉い学者だかがやってきて、さっきの台詞を言ったのよ」
明らかな侮蔑を込め、ジーンは呟いた。
「今から約一週間ほど前、地球に向かって飛来する巨大な隕石を、我が合衆国の衛星が察知した――って。確かに私は素人だけど、さすがに、衝突二ヶ月前にならないとわからないほど隕石が近づいている状況なんて、考えられないわ。我が合衆国の誇る、優秀な衛星が、そこまで接近するまで全く発見できなかったと、本気で思う?」
優秀な、という言葉に特に皮肉を込め、ジーンはさらに続けた。
「実際の所は、数年前にその存在は確認されていたのよ。それから、様々なプロジェクトが打ち立てられた。居住可能な惑星の探索、そしてテラフォーミング計画。地下に穴蔵を掘って、少数の選ばれた人間だけが生き残るという計画。あとは、昔のSF小説にあったように、人間をその惑星に適した形に改造するという計画も、あったらしいわ。そのどれもが途中で不可能だとわかり、破棄され、そんな中急遽立ち上がったのがこのプロジェクトというわけ」
すでに灰ばかりになったタバコを灰皿に押しつけ、ジーンは自嘲的に最後を締めくくった。
「残された期間は二ヶ月。誰かの思いつきとはいえ、シミュレート結果は概ね良好……そして私は、遺伝子と異能者の関係についての研究結果を買われ、今こうしてここにいるというわけ」
アイは、眉をひそめ、それからしばらくして、ゆっくりと尋ねた。
「……遺伝子と、異能者の関係?」
「サイファは、一つの研究成果といったところ」
冷たくそう言い放ち、ジーンは立ち上がった。
「話が過ぎたわね。あなたもそろそろ部屋に戻りなさい」
「は……はい」
「手は貸さなくて大丈夫ね?」
「……大丈夫です」
会議室の入り口までジーンはアイの前を歩き、それからドアを開けたまま、アイが通り過ぎるのを待った。
「そう言えば、一つ聞き忘れてたことが……」
ドアを抑えたままの姿勢で、ジーンは尋ねた。
「どうしてその場で嘘だと指摘しなかったの?」
「あの場所には、他の人がいましたから」
やや間があって、アイは続けた。
「アロイスのためです」
「……どうしてそれが彼のためになるのかしら?」
「情報が多いほど、相手に対して有利に立てますから」
「相手?」
「私は、アロイスをあのシャトルに乗せるつもりはありません。それだけは、絶対に……」
今までの、怯えるような声ではない。利己的で、冷たく響く声色で、アイはそう囁いた。
壁に手をつけ、ゆっくりと壁に沿うように部屋へと戻るアイの後ろ姿を、ジーンは無表情に見つめていた。
そして最後に、誰にも聞こえない声で、神への祈りを唱えた。
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