「どーですかリンリン先輩。火星産のエンジンオイルですよー」
たぷん。と手元のオイル缶を揺らし、アリシアは得意げに笑った。
「言うまでも無いですが、地球のVIP専用のオイルです。
これさえあればどれだけエンジンをふかしても故障知らず! 手に入れるのに苦労したんだからあ」
「うわぁー! ほしい、ほしい! 譲ってよー!」
お団子頭がぴょんぴょん跳ねる。
万が一にもひったくられないよう、アリシアはオイルをガッチリ両腕でガードした。
「だめです。元手が一杯かかってるんですから……最低でも、これだけ出してもらわないと」
無理な体勢で差し出された指五本。
リンリンはそのうち三本を折りたたんでみせる。
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「……どーせお偉いさん用の横流しでしょ?
黙っててあげるから、この値段で売りなさいよ」
「キーッ! ふざけんな!
それじゃ今月のローンが払えないじゃない!」
「べーだ、そんなの知らないよー」
つかみ合いにならんばかりに言い争う、その二人の横で……そろそろと空気が動いていた。
『それ』は散らかりまくったアリシアの部屋を、巧みに動き、出口へと進む。
音は無く、埃も巻き上げず。もちろん、争う二人には、気がつかれることなく。
だが。床に投げ捨てられていたビニール袋が……ガサリと大きな音を立てた。
「!? 誰か居るの……!?」
二人の首が、恐ろしい速度で音の方向を見る。
悪い事をしているという、ビクビク感は忘れていなかったらしい。
それは、音の主にとっては、不幸なことだった。
……ビニール袋を踏んづけたまま、おどおどと腕を掲げて二人の視線から
身を守る……。 それは緑の髪の、小さな女の子だったのだ。
「……ルゥ!?」
アリシアの顔が「しまった!」の色に染まり、リンリンが間髪いれず飛び掛っていく。
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「ルゥ! 悪いけど、黙っててー!」
「きゃあーっ!」
ルゥの動きは鈍いけれど、逃げるだけなら十分。出口のドアに体当たりして、そのまま外に転がり出る。
入れ替わりに踏み込んできたのは、冷たい笑いを浮かべたレイチェルだった。
「……ふふん。貴様ら、やっぱり悪い事をやっていたな」
ちゃきっと銃を向けられて、悪者二人はしぶしぶ手を上げる。
「くっそー、またルゥにやられたぞっ!」
「忍び込まれてたのかあ……気が付かなかったなあ」
そんな二人の声を避けるように、ルゥはおどおどと、レイチェルの背後に隠れた。
もっとも、二人とも同じくらいちいさいので、あんまり隠れる意味は無かったが。
「良くやったな、ルゥ。おかげで現場を抑えることができた」
レイチェルは静かに振り返り……急に振り返ると脅えるので……ルゥの頭を撫でてやった。
ルゥの顔が、ほんのすこし、明るくなる。暗いところだと判りにくいが、それは確かに喜んでいる証拠だった。
「……これからも、がんばります」
そのかすれるような声に、レイチェルは大きく頷く。
逆に手を上げている二人のほうは、ぶうぶう文句を言った。
「ルゥ、そっちにばっかりひいきするなー!」
「そうだよー、たまにはあたしたちの味方をして、見逃してくれたって……」
再び脅えてしまったルゥを背に守り、レイチェルのキックが二回とぶ。
それで悪は滅びた。 |
「くっそー。ルゥがいると、なにも企めないなあ」
ベッドの上で胡座をかき、アリシアが愚痴る。
マキの部屋に集まっていたのは、悪い遊びが大好きな三人集。つまりマキ・リンリン・アリシアだ。
以前は結構やりたい放題だった彼女達も、ルゥがやってきてからというもの、失敗続きだった。
彼女達が悪い事をしていると、いつのまにかその場にルゥが潜んでいるのだ。
そのまま報告されて、捕まってしまう。
「ねー副隊長。副隊長は、ルゥと仲いいよね。なんとかこっちに引きずり込めないかな」
「うーん。あの子、究極的には隊長のいいなりになるしなあ……」
ほんとに素直ないい子なんだよねぇと、マキが嘆息する。
一番えらいひとの言うこと、すなわち隊長の命令に、ルゥはとっても忠実なのだ。
それは軍人としては正しいことだから、文句も言えない。
「その部分は絶対譲らないんだあの子。ああ見えて、そういうところは頑固みたい」
「うーん、いじめてオーラ、バリバリ出してるくせに……」
アリシアは大きく鼻を鳴らし、腕組みする。
リンリンも腕組みしだしたのは、アリシアのまねをして遊んでいるのだろう。
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「やー、でもすごいよね、ルゥって。ほんとにどこに居るのかわからないんだから」
「目に入ってはいるはずなのになあ。地味すぎて脳みそが認識できないのかなあ」
「あれはもう、一種の天才っていうか、奇人変人大賞ね。あたしゃ、あの子がうちの軍の新兵器って言われても驚かないわ」
「ほーんと。もし、ルゥが今ここに居たとしても、気が付かないかもね」
何気ないリンリンのセリフに、他の二人がびくっとなる。
話し合いはしばし中断。部屋の中にルゥがいないかの探索大会になった。
基本は手作業。空中で腕を振り回し、ぶつかったり悲鳴が聞こえたら、その近くにルゥがいるのだ。
……しばらく、無言の探索が続き……。ようやく『居ない』と確信できた頃には、三人とも軽く汗ばんでいた。
「……ぜえぜえ……つ、疲れたなぁ。もう眠いよー」
「……うーん、このままじゃあたしたち、健康的な生活になってしまうわ」
疲れきったアリシアとマキは、もつれるようにしてベッドに沈んでいる。
リンリン一人だけが元気だが、まあリンリンが疲れきるなどということはありえないから仕方ない。 |
「うーん、イタズラが企めないってのは、面白くないしなあ。
……ここは一発、なんとかしてルゥに対抗しようよ!」
「対抗ったって、どーすんですか?」
不貞腐れるアリシアの言葉に、リンリンはしばし考え込み……。
「ルゥの秘密を握って脅迫とか?」
と、にっこり笑う。アリシアの顔が、引きつった。
「……マキさん。リンリンさんって、時々、怖いこと言いますね……」
「ふっ。アリシア、あんたまだ、リンリンという人間を、理解しきってなかったのね」
「……仰るとおりです。でもまあ、たしかにその考えは、アリですよね」
三人はぐっと拳を付き合わせ、作戦を練り始めた。 |
とはいえ、改めて考えると、三人が握っているルゥの情報は数少ない。
「……地球の出だとは聞いてるけどねえ」
マキが首を捻った。
副隊長として、隊員たちの履歴書には全て目を通してはいる。だが、ルゥのそれに、記憶に残るような要素は無かった。
「地球の出ってことは、やっぱそれなりの金持ちなんですか?」
「いや、どっかの島国の、安い住宅地の出だったなあ。親戚に要人とかも居ないし」
「……なんでそんなんで、広報部隊にはいれたんです? なんか特技があるわけでもないのに」
アリシアの目が据わる。後ろ盾の無い彼女は、この部隊に入るために、彼女なりに努力をしたのだ。
芸も無いルゥがあっさり部隊に入ったとしたら、たしかにアリシアとしては納得できないだろう。
「んー。やっぱり、目立たないことが芸の一種なんじゃあ?」
「……あるいは、はじめっから部隊の監査要員として送り込まれてきたのかも?」
三人寄れば文殊の知恵とは言うけれど、どこぞの偉い賢者にも、わからないことくらいあるのだ。
結局、実際に体を動かして、ルゥを探ってみるしかないという結論に落ち着いた。
「あー……。ルゥさえいなければ、いまごろ酒をかっくらってのんびりしていられるのになあ……」
アリシアがぼやく。いつものひらひらスカートからジャージに着替えているので、
まるでこれからスポーツでもするような姿だ。
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尾行や家捜しをするとなれば、ファッションにこだわっていられない。機能性が第一になる。
「うーん、真面目なノリになってきたわね。レイチェルの罠にはまってるのかも」
「あははー。でもその格好のアリシアもかわいいよ」
「げー。リンリン先輩にうけても、うれしくないっす」
抜き足差し足。三人はルゥの部屋の前にやってくる。マキが扉にぴたりと耳を押し当てて……中には誰も居ないようだと頷いた。
小さい二人に左右を見張らせて、鍵穴を覗き込む。その手には曲がった針金。
「……副隊長、急いで下さいよ? こんなところ見つかったら、おしりぺんぺんじゃすみませんよ」
「せ、せかさないでよ……って、あれ、これはもしや」
マキが、手にしていた針金をしまいこみ、軽く瞑目する。
「……どしたのマキさん? めまい?」
「うん……まあ」
マキの手がひょい、とノブに延びて。
がちゃ。と扉を開く。
一瞬その場に流れる、気まずい空気。マキのため息は、深かった。 |
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「ルゥ……。外出時はちゃんと鍵をかけろって、軍学校の一時間目に習うでしょうに……」
「ほら、その。あたしら新人、軍学校行ってませんし……、まあ、むしろ小学校で習えって感じですが」
「てゆーか、軍に限らず、普通は鍵かけ忘れないよねえ。よっぽど風紀のいい地区で暮らしてたのかなあ?」
リンリンが首をかしげ、アリシアはひらひら手を振ってみせる。
「逆に、よっぽどびんぼーな地区かもしれませんよ。お互いに盗まれるものもないっていう」
「まあ、あるいは古きよき、人情の残った地区かもね?」
三人はそんなことを言いながら、部屋の中に入り込む。
足跡を残さないよう、靴の上にカバーをつけて、手袋もしっかりはめて。
覗き込んだルゥの部屋は……まるで動物園だった。
「うわ、ぬいぐるみだらけ!」
「……商品タグついてないよー! 手製だー!」
キリンやゾウ。やけに丸いライオンに、巨大なタツノオトシゴ。
丁寧に作られたカラフルなぬいぐるみたちが、床に置かれていた。
散らかっているのではなく、場所を選んで配置してあるらしい。
「……これは、あれだね。ちゃんと各ぬいぐるみに性格が設定されてるんだね」
「ルゥが居なくても、ぬいぐるみ同士で遊べるように、考えて置かれてるんだねー」
先輩二人は、感慨深げに頷きあい、そのままぬいぐるみの観察に没頭した。
その間にアリシアは戸棚を漁り、ルゥの弱みになりそうなものを探す。
しかし、出てくるのは可愛らしい雑貨ばかり。秘密めかしたものは何も無い。
せいぜい家族から来たのであろう手紙の束だが……。
「……これを読むのは、ちょっと悪いか……」
その辺のモラルはあるアリシアなのである。
「……マキさん、だめだ! ルゥは良い子ちゃんだよー!」
「うーん。そうみたいだねえ。このぬいぐるみ、見てごらんよ」
マキがひょいとアリシアに差し出したのは。隊員たちを模した人形達だった。
どれもこれも、妥協の無い縫い目で作られており……。
「うわ、あたしの目、三角だ!?」
「わたしのやつは、乗り物つきなんだー。えへへっ」
どれも良く、特徴を掴んでいた。
自分の人形を抱っこして、三人はちょっと、やさしい顔になってしまう。
「……はー。なんかほっとするなあ」
「なんか、目的忘れそうになるわねえ。むしろ忘れちゃおうか」
そうこうしていると。玄関がいきなり、ガチャリと開いた。
「げえっ!? ルゥが帰ってきたっ!?」
幸い、三人の居た場所は、玄関からすぐには見えない。だが、逃げられるような距離でもない。
三人は慌ててクローゼットの中に隠れる。
「ぐうっ、せ、せまい……! マキさん、胸引っ込めてください!」
「無茶言うな! ……リンリンも髪の毛邪魔!」
「あはは、ごっめーん!」
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どたどたとやかましいクローゼット。しかし部屋に入ってきたルゥは、それに気が付く風もなかった。
もっとも……
「……あれ? 戸棚開けっ放しになってる?」
さすがにそのあたりは、気が付いたようだが。
「……アリシアのばか! 閉めておかなかったの!?」
「だ、だって、急に帰ってくるなんて思わなかったから!」
細く開いたクローゼットの戸から、三人はルゥの様子をじっと見守る。
侵入がばれた……となれば、一気に襲い掛かって口を封じるくらいの覚悟で。
しかし。
「……まあいいか」
ルゥはあっさりと現状を追認し、そのまま寝る準備をし始めたのだった。
ぬいぐるみを一つずつ抱っこして、部屋の隅に寄せ、ベッドの上にもう一枚、布団を広げる。
タツノオトシゴのぬいぐるみは、抱き枕兼用のようだった。
「……ここ、兵舎ですよね? 女子高の寮じゃないですよね?」
タツノオトシゴをベッドに寝かせている後姿を見ながら、ぼそっとアリシアが呟く。
先輩二人も一瞬首を捻るが……。 |
「まあ、かわいいからいいんじゃない?」
ときどきよろよろしながら制服を脱いでいるルゥを、マキはうっとりと眺め。
リンリンはあははと笑ってごまかした。
程なく、電気が消え……ルゥがごそごそベッドに入る音がする。
ちょっと悲鳴がしたのは、すねをベッドの枠にぶつけでもしたのだろう。
……程なくして……すやすやと寝息が聞こえ始める。ルゥは最後まで、侵入者に気がつく気配も無かった。
「……ふー、やれやれ」
とりあえず当面の危機は去った、ということで、三人はごそごそクローゼットから這い出す。
しかし、結局ルゥの部屋からは、握って楽しい『秘密』など、出ては来なかった。
「やー、調べるのは楽しかったけど、無駄足だったねえ」
「ちっ、手ごわいなあ。これじゃあたしら、これからもやられっぱなしだ」
しかたない、ぬいぐるみでも誘拐するか……などと、小さい二人が相談している背後で。
マキはその体躯に似合わぬ忍び足で、ルゥの枕もとに歩み寄っていた。
その手に、どこから取り出したのか、油性のマジック。
「……マキさん、何する気ですか?」
「肉マークと髭、どっちがいい?」
「うわー、落書きする気満々だね」
無責任に喜ぶリンリンに、マキはひらひらと手を振って見せた。
「ま、悪い遊びがやりにくいのは、もう諦めるとしようよ。
その分ルゥに、遊びのお付き合いしてもらえばいいじゃない?」
「……それはつまり、ルゥをおもちゃにして遊ぶということですか?」
「そのとおり〜♪ あんたたちもやってごらん♪」
すやすやと、何の敵意も無く眠るルゥの顔に。マキのマジックが容赦なく走る。
寝た子を起こさぬ素早い筆使いに、アリシアたちは思わず唸った。
「……うう……ん」
ちょっとだけくすぐったかったのか、ルゥが軽くうめいて寝返りをうつ。
その仕草に、侵入者三人は、ほんの少しときめいて……。
そしてさらなる悪戯をしてやりたい、という誘惑にかられたのだ。
「……マキさん、あたしにも、マジック、貸してもらえます?」
「あ、わたしもわたしもー! 容赦なくボディペインティングいきます!」
「あはは、やりすぎて、あとで泣かせないようにねー」
三人はいそいそと腕まくりし、溜まった鬱憤を晴らしはじめた。 |
その頃、隊長の部屋で。
「……大成功ですね隊長。ルゥを隊員に抜擢したのは」
レイチェルが、珍しく大満足の表情で報告していた。
手元の紙束は、隊員たちのメディカルチェックの結果を纏めたもの。
そこでは隊員たちのストレスが、以前に比べ、大幅に減少したことが図示されていた。
「マスコットにしかならないものを、わざわざ入隊させるのはどうかと思っていましたが……
これほど効果があるとは」
レイチェルはご機嫌だが、隊長の顔は複雑だ。
隊員たちが溜め込む色々な鬱憤が、ルゥ一人にのしかかっているのではないか、と思う。
レイチェルとて、マキ達を取り締まりたいという鬱憤を、ルゥを使って晴らしているわけで。
「……ルゥのほうは、大丈夫なの? ひとりで泣いている、なんてことは、ないでしょうね」
「……以前は、あったようですが……」
レイチェルはこほん、と咳をして。悪びれずに言葉を続けた。
「最近は、人前で泣けるくらいの強さは、身について来たようです」
「……そう。じゃあ、ルゥの望んだ方向に、進んではいるのね」
隊長は、ルゥに個人面接したときのことを思い出す。
ろくに言葉を発することも出来ないほどに、内気で、弱々しかった少女。
だけど、彼女は震える声で言ったのだ。
……独り立ちしたいと。親に守られるままではなく、強い自分になりたいと。
小さな小さな勇気を振り絞るその姿は……。
初めから勇敢で、勇気とは振り絞れるものであることさえ知らなかったクロウディアにとって、あまりにも眩しかった。
……ある意味、クロウディア自身。ルゥによって心癒されていたのかもしれない。
「……ルゥは頑張っているのね。今度、なにかご褒美をあげましょうか」
「そうですね。なにか似合う服を、買ってやりましょう。きっと喜びます」
隊長たちは静かに笑いあい……。
そのころルゥ自身は顔を真っ黒に塗りつぶされ、今まさに体のほうまで落書きの魔手を伸ばされているところだった。 |
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