工画堂スタジオ 110th Anniversary

工画堂スタジオは2026年7月で110周年を迎えます。これまでの感謝を込めて、特別なサイトを準備しています。

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工画堂スタジオ110周年を記念した、当社シナリオライターによる短編小説

残るもの 残したいもの

「こちらに、百年前のチラシって残っていますか?」

淡藤色の袴風スカートに矢絣の小袖。ゆるく波打つ黒髪は大きなリボンで結ばれ、足下は艶やかな黒のブーツに包まれている。

まるで大正時代から迷い込んできたかのような女性が、小首を傾げて私にそう尋ねた。

春も半ば。四国の辺りでは桜が咲き始めたというニュースが聞こえてきた、そんなある日のこと。

私は新宿区市谷台町の自社ビル、今は撮影スタジオ兼倉庫になっている半地下のスペースで、写真のレタッチ作業をしているところだった。滅多に鳴ることのないチャイムに驚き、来客に対応するために階段を上がってドアを開けた。

そして、一風変わった出で立ちの女性から、冒頭の妙な質問をされたのであった。

 

「急にそんなことを言われても……困りますよね」

はにかむような笑みを浮かべると、口元にちらりと八重歯がのぞく。服装も相まって、女学生のようにも見えた。

「最初から説明させてください」

そう言って、女性は話し始めた。

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彼女の曾祖父が亡くなったのは、もう何十年も前になる。その後、富久町の家を祖父が継ぎ、孫である彼女は時々遊びに行っていたそうだが、その祖父も数年前に亡くなった。

空き屋となって長らく放置されていた家を取り壊すことになり、親戚一同が集まって整理をしていると、和箪笥の奥深く、ブリキの空き缶に大切に保管されていた曾祖父の日記が見つかった。そこには、曾祖父が立ち上げた家業――今も続く和菓子屋を創業した当時の様子が、事細かく、鮮明に記されていた。

「そこに、工画堂さんの名前があったんです。創業のポスターから、チラシのデザインまでお願いしたと書いてありました。出来映えもとても素晴らしくて、会う人、会う人に自慢しながら配ったものですから、一枚も残ってないらしくて……」

彼女は目を伏せ、地面ではないどこか遠くを見つめる。最初の質問の意図はようやく理解できたが、疑問は残った。

「それで、会社を探し出して、ここに?」

ネットで調べたとしたら、最初に出てくるのは本社のある四谷の情報だったはずだが。

「いえ。探そうと考えていたわけではなく……」

彼女は首を横に振り、説明してくれた。

曾祖父の和菓子屋は移転し、屋号と共に父が継いだのが十年ほど前。彼女はそこでバイトをしており、今日は倉庫として使用している元店舗へ、店の車で古い道具を取りにきたそうだ。大正時代を思わせる服装も、和菓子店の制服らしい。

「車でこの近くに来るのは初めてだったんですが、駐車場に戻る途中、偶然それを見かけて――」

彼女が指さす先には、見慣れた工画堂のロゴマークが描かれた、丸い電灯がかけられている。

「私、乙女ゲームが好きで、工画堂さんの名前はもともと知ってたんです。だからそのロゴを見た瞬間に日記のことを思い出して、思わずチャイムを押してしまったんです」

「それは、すごい偶然ですね」

「お仕事中でしたよね? すみません、突然押しかけてしまって」

「いえ、ちょうど休憩しようと思っていたところに、面白い話を聞くことができました。さすがにそんなに昔のチラシは見たことがありませんので、ちょっと調べてみてもいいですか?」

「……いいんですか?」

「はい。一週間ほど時間をいただくことになりますけど」

連絡先を交換し、最後に彼女は両手の平をお腹の前で合わせ、深々と頭を下げて帰っていった。

そうした仕草が、妙に板についていたのが印象的だった。

 

その後、私は市谷台町での仕事を終えて四谷のオフィスへ戻ると、とある冊子を手に取った。

創立百周年の際に作成されたもので、タイトルは『工画堂昔話』。社是や企業理念、社長のインタビューに始まり、我が社の歴史がまとめられた一冊だ。真面目に読んだことはなかったが、改めて目を通すと、中々に興味深い内容だった。

一九一六年の創業から続く、会社の営み。会社が手がけた自転車屋のポスターや、自社ビルの竣工式、創業者である谷順三氏が写っている貴重な白黒写真の数々。

残念ながら、彼女の探している和菓子屋のポスターやチラシについては掲載されていなかった。しかし、入社して六年ほどの私がついぞお会いすることは叶わなかった当時の二代目社長、谷欣伍氏の話など、気づけばあっという間に読み終えていた。

その創業者一族であり、現社長の逸平さんに、私は女性の言葉を借りて一本のメールを打った。

どこかに、百年前のチラシって残っていますか、と。

翌日、私は社長に「面白そうだから話を聞かせてくれ」と言われ、連れて行かれた荒木町の定食屋で昨日の出来事を話した。

 

それから一週間。私からの連絡を受けた女性が、市谷台町のスタジオへと再び顔を出した。

「あの……お世話になっております。ご連絡いただいた件で寄らせてもらったのですが」

当然だが、彼女は薄手のカーディガンに革のローファー、肩にはトートバッグと、ごく普通の服装だった。いつしかの女学生らしさはなく、年相応の女性に見える。彼女の顔には、ほんの少しの戸惑いと期待が浮かんでいた。

「お待ちしてました。お見せしたいものがありますので、中へどうぞ」

倉庫として使用していることもあり、段ボールとコンテナが積み上がった室内に迎える。一通り掃除はしたが、お世辞にも綺麗とはいえない。私はやや気恥ずかしさを隠しながら、女性の前に二枚の写真を差し出す。

「まずは、こちらを」

まじまじと写真を見つめる女性を前に、ここ数日のことを思い出す。

彼女が今手にしている写真は、いくつかの幸運があって、ようやく見つけられたものだ。

十年前ではあるが、百周年を迎えて作った冊子のために創業者一族から多くの写真が集められたこと。それがまだ社長宅に集められたままで、取り出してすぐに確認できる場所にあったこと。社長だけでなく、話を聞いた社員の何人かが、面白そうだからと手伝ってくれたこと。

その結果が、目の前の女性の華やかな笑顔に繋がっている。

一枚目に写っているのは、自分の手と同じくらい大きな大福を握りしめて笑っている少女の姿。机の上には歴史を感じさせる包装紙と、当時この辺り一帯に配られたチラシが広げられていた。二枚目はチラシを中心にトリミングし、拡大や角度の調整をしたもので、彼女から聞いた店の名前がはっきりと描かれている。

「これ、コピーさせてもらうことはできますか?」

おずおずと尋ねる女性に、私は首を横に振った。当然、断るためではない。

「それは差し上げます。写真をスキャンしたデータを、印刷しただけですから」

写真を大切そうに抱え、何度も振り返ってお辞儀する女性を見送り、私は半地下のスタジオに戻った。

手には「お土産です」と渡された和菓子がひとつ。少々もったいない気もするが、ペットボトルのお茶と一緒に、桜の花を形取った練り切りをいただくことにする。

近くの小学校では、桜が咲いたらしい。

季節を切り取ったような菓子を頬張り、ふと考える。

今から百年後に残る仕事を、誰かの心に残る物作りを、自分は今、しているのだろうか?

そんなこと分かるわけがない――でも、そうであったらいいな、と私は一人笑った。

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文章:西川 真音

ソフトウェア開発部所属のシナリオライター兼ディレクター。代表作に『シンフォニック=レイン』『嘘つきと犬神憑き』『夢現Re:Master』など。

イラスト:チアム イーユン