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 もっとも鮮明で古い記憶は、家族に関する記憶を消したいと強く願い、一人ベッドで涙を流しているものだった。その瞬間にはすでに家族の記憶はなく、ただ自分が『記憶を消したいと強く願ったこと』だけを覚えていた。
 すぐに涙は乾き、自分が色々なものを失っていることに気づいた。
 見覚えのない部屋に一人残され、自分がほんの数分前になにをしていたかも思い出せなかった。窓から外を見渡せば、そこには見覚えのある風景が広がっていた。しかし、ところどころにオブジェのような、異物に感じるなにかが点在していた。
 部屋を歩くごとに、様々な発見をした。リビングに置いてある、PCのモニターに似た機械が、なんであるかを理解できなかった。後にそれがテレビだとわかったけど、それは数日後になってからだった。
 家族と切り離された空間、つまり学校で学んだこと、学校で使っていた物の使い方は完璧に覚えていた。でも、家でしか使わないような物、洗濯機やレンジなんかの使い方は、完全に忘れていた。
 もっとも、穴だらけの記憶をなんとかつなぎ合わせ、失われた記憶の中にだけ存在した事柄を再び覚えていくのは、それほど難しいことではなかった。機械は人が使うために作られていて、ボタンに描かれた文字や絵を見れば、なんとかなることが多いからだ。

 結局その日は、手当たり次第に家を探索し、冷蔵庫から記憶にある食べ物を取り出し、一人で食べて、寝た。翌日、学校に行ったところまでは覚えているけど、そこで再び記憶が途切れ、その日の学校での記憶を消した、という記憶だけがまた残った。

 俺は、そんな積み重ねの中で生きていた。なにかから逃げるように記憶を消し、その記憶だけが残っていく。
 幸い学校の友人は、能力の事を知ると、すぐに俺がなにをしているのかに気づいてくれたようだった。なにかを尋ねるということも、何かを知らせようともしない、穏やかな日々が続いた。少しずつ離れ、今では友人とも呼べなくなった級友の顔を思い浮かべながら、それでも感謝することは忘れなかった。
 その頃から記憶が飛ぶようなことは少なくなったから、多分それは、俺が望んだことに違いなかった。