|
「――要するに、語るべき過去が俺にはないんだ。代わりに、能力を手に入れたいきさつを詳しく話した」
そうして言葉に出してみると、過去から逃げているという、弱くて愚かな人間像しか浮かび上がってこない。否定はしないが、それが自分という人間なのだと、言い切るのも難しかった。
「なにか質問は?」
能力を聞けばその人間が理解できる。アロイスが言っていたことは、正しかった。あまり向き合ってこなかった過去を口にすることで、ようやく自分という人間が、少しだけわかった気がする。
「聞いて良いか迷ったんですが……」
アロイスが、律儀に手を挙げながら発言する。
「いいよ。俺が覚えてることなら」
俺よりもいくらか歳の若い少年は、冴えない俺の冗談に、いくらか愛想笑いを浮かべた。
「自分がある事柄に対して記憶を消した――という記憶を消すことは?」
「結論だけ言えば、できる。でも『記憶を消した』という、記憶を消した記憶が残る……って、なんかややこしくなってきたか?」
「それを消すことは――」
「できない。多分、リアルタイムで進行している出来事だから……かな。さっきも言ったように、まず消したいことを頭に思い浮かべる必要があるんだ。これは、映像でも曖昧な言葉でも構わない。例えば、昨日食べた夕食のことを忘れたい、と考えるか……もしくは盛りつけられた料理や、皿を思い出すんでもいい」
後は、念じるだけ、とでも言えばいいのか。これを人に説明するのは少し難しい。ただ、彼らは同じ異能者だし、これで充分だった。
「――簡単に言えば、自分が認識できる過去しか消せないってことになるか。自分の場合、現在進行系で進んでいることを消すことはできないんだ。それを過去だと位置づけることができないから」
アロイスは、納得したように軽く頷き、数秒経ってから首をかしげる。
「……自分の場合は?」
「ああ、他人の場合は、また別かな」
「どのように?」
「俺が認識できるかどうかが問題だからな。リアルタイムで記憶を消し続けることは出来る。気になるなら、今度見せてやるよ」
他人に力を使う場合は、ある程度近づく必要がある。今は別に、そこまでする必要もない。
「もう一つ構わないでしょうか」
「どうぞ」
「あなたは、自分の過去を知ろうとは思わなかったんですか?」
「……今は思わない」
「ということは、知ろうとしたことはあるんですね」
「もちろんある」
この話を人にする都度、好奇心が沸く。
「残った結果は――自分が過去を知り、その記憶を消したという記憶、三回分だ。一回や二回目までは、まだ自分のことを信じてたんだろうな。今ならば大丈夫かもしれない、なんてさ」
しかし、それが三回続いた時、俺は過去を知ろうとするのをやめた。飛んだ記憶はせいぜい一日やそこらだったから、きっと俺の過去はいとも簡単に知ることができる類の秘密だった。街に住む誰か、図書館の新聞、学校の友人。どのように調べてもすぐに結果へと行き着くことが出来る、そんな記憶。
「でもさ、これでも纏めたんだけどな。今の俺にあるのは、三回のその記憶を纏めて消したという記憶が、一つだけ」
冗談のつもりでそう言ったけど、誰も笑わなかった。そうして記憶を消すために、その事実だけが一層鮮明に記憶に残っていくのは、実に馬鹿らしいことなのに。
「俺の話はそんなとこか。短い話のつもりだったけど……」
ホログラムの長針は、十二時を軽く回っていた。今日はジーンの話が短かったから、二時間ほど話していたことになる。
「そろそろ昼食の時間だな。どうする? 一度休もうか」
「そうですね。僕の話も、それなりに長くなりそうですから。ウォルシュ、君は?」
「俺の話は、すぐ終わる。今ここで、すぐに話してもいいか?」
俺が話している間中、興味なさそうによそ見をしていた割に、話す気はあるのか。
「僕は構いませんが……アキラは?」
「ああ、俺もそれでいいよ」
「まず最初に言っておくが、俺は能力に目覚めた時のことを話すつもりはない」
早速、といった感じにウォルシュは話し始める。
「それで構いません」
「で……俺の能力の話だったな」
ウォルシュは立ち上がって、すっと歩き始めた。ちょうどコの字型に並んだ机の中央、アロイスとアイが座っている場所に向かっている。
「ウォルシュ……止まれ」
アロイスが警告したが、ウォルシュは憮然とした表情でアロイス達のほぼ後ろで足を止めた。
「俺は……自分の、そして他人の感情を消すことができる」
後ろを振り返って警戒しているアロイスに、ウォルシュが笑みを浮かべながら続けた。
「喜び、悲しみ……愛情も」
いきなり、ウォルシュがアイの座る椅子を思い切り蹴飛ばした。椅子が倒れ、アイは硬いコンクリートの床に投げ出された。
「ウォルシュ!」
アロイスが鋭く叫んだが、ウォルシュは気にした様子もなく、わざわざアロイスが唇を読みやすいように彼に向き直って、一言付け加える。
「そして、憎悪もだな」
その言葉の直後、怒りに歪んだアロイスの顔が、能面のような無表情に取って変わった。
「……そうか。理解はしたよ」
感情のこもらない声でそう言い、アロイスは屈んで、倒れたアイの頬に手を触れた。
ウォルシュが力を止めた時にどうなるかが少し心配だったから、俺も席を立ち、アロイス達の側に寄った。
「大丈夫か?」
アイの身体をゆっくりと抱き起こし、アロイスが振り返る。
「大丈夫です。アイのことは気にしないで結構です」
「……ま、アロイスがそう言うなら別にいいけどな」
伸ばそうとしていた手をひっこめ、とりあえずその場に留まる。
「すみません……ありがとうございます、アキラさん」
軽く擦りむく程度で済んだのか、アイはアロイスの手をぽんぽんと二、三回叩き、何事もなかったかのように立ち上がる。そして服に付いたほこりを何度か手で払うと、落ち着いた様子で椅子に座った。そのすぐ後ろにはまだウォルシュが立っている。
アロイスはその間に割り込むように位置取り、ウォルシュと向かい合った。
「ウォルシュ」
「なんだ?」
「次、アイに危害を加えたら、殺すぞ」
剣呑な言葉とは裏腹に、アロイスはまだウォルシュに感情を消されたままなのか、無表情のまま、無感情な声でそう言った。しかし、本気なのは間違いなさそうだ。
「でもさ」
俺がそう話し始めると、ウォルシュがまずこちらに視線を向け、それに気づいたアロイスが続けてこちらを向く。
「憎悪も消せるんじゃなかったのか? まだ力使ってんだろ?」
「感情に寄らない怒りだからだろうな。下手につながりが深いと、これだから手に負えないな」
興味なさそうに、ウォルシュが肩をすくめた。
「そうだな、怒りはない。ただ、お前の行動は許せない。それは感情じゃない。理性でわかる……お前は危険だ」
「言葉が乱れてるぞ、偽善者。年長者は敬え」
「無理だな。お前と話すときだけは」
にやりと笑い、ウォルシュは自分の席へと戻る。メイドの少女が、彼の椅子を引き、わざわざ座るための手伝いをした。彼女は、今のやりとりを見ても終始無言だった。ひょっとしたらウォルシュのああした行動に、慣れているせいかもしれないと、ふと思った。
「なぜ、あんなことをした、ウォルシュ」
アロイスの冷静な声が、静かに室内に響く。
「わかりやすかっただろ?」
「確かに」
ウォルシュの力は、まだ利いているらしい。
「俺からは以上だ。能力については、今実感してもらっている通りだ」
「話し終える前に、もう一度言っておく。ウォルシュ・クーパー」
「……なんだ?」
「アイに危害を加えたら、殺すからな。いかなる手段をもってしても」
「ああ、やってみろ」
今度は、アロイスがウォルシュの方へと歩を進めた。
「おい、アロイス。やめとけ」
割って入るのは避けたかったが、このまま二人の喧嘩が続くのも時間の無駄だ。
「できれば邪魔をしないでいただきたいのですが」
「まずは頭を冷やせ。なんならさっきの記憶を消してやってもいい」
「アキラ……考えてもみてください。サイファがもし同じことをされたとしたら? 僕は、ウォルシュのあの行為を、忘れるわけにはいかないんです」
「それは……」
確かに嫌だな。
「おい、ウォルシュ」
アロイスは取りあえず動きを止めたようだし、もう一人の当事者へ話しかける。
「もうやめとけ、ああいうのは」
「言われて止めると思うか?」
「記憶を全部消されたくなければ、言うことを聞いておけって」
初めて、ウォルシュの顔が歪んだ。
「そんなことをしてみろ……お前が大事にしてるサイファを殺すぞ」
「サイファはレス系の異能者だ。普通の方法じゃ無理だろ」
「方法はあるらしいって、ジーンの話を聞いてなかったか?」
「ま……なんにせよ無理だよ、多分。やったことないけどさ、記憶を全て消せば、廃人か、良くて赤ん坊に逆戻りってとこだな」
舌打ちをして、ウォルシュは顔を背けた。
「そういうことだ。もう、あんな無茶はするなよ」
吐き出すように小声でなにかを呟き、ウォルシュは一応頷いたような仕草をした。
「というわけだ、アロイス」
「……ありがとう、とでも言えばいいのかな?」
「いや、礼はいらない」
もう大丈夫だろうとサイファの隣に戻ろうとしたが、アロイスは席に戻らず、ゆっくりとまた歩き出した。
「おい、アロイス……」
「大丈夫です、アキラ。今度は僕の話す番でしたよね」
言いながら、足は止まらない。顔には微笑みが張り付いていた。
「怖いか? ウォルシュ」
「まさか」
挑発するようなアロイスの言葉に、ウォルシュはわざわざ足を机の上に投げだし、余裕の表情を見せた。
「僕の能力は、光を消すこと」
|