ちらりとでも、そう考えてしまったのがいけなかった。だって、と思う。
(お母さんも、戦ってたかも、しれないし)
『近代魔法史』、『魔杖黙示録』、悪魔と魔法使いの戦い。
――わかった……、うん。
おずおずと由菜は頷き、そして、いまに至る。時刻は、午後十時四十分。
「わたしが“なんとか体質”なんて、違ったんじゃないかな」
霊的誘引体質。
そう答えをだすのが、もっとも現実的な気がしはじめていた。どうせなら、いくら食べても太らない体質とかなら、よかったのに。
「かもしれないわ。“ダメ男磁石”であることは確定だけれど」
「む〜〜、そんないいかた」
「違う、と胸を張っていえるの? 驚いたわ、正直」
由菜は反論できない。えりすに星飾りのお守りを預け、繁華街の周辺を歩くこと数時間。近づいてきたのは、酔っぱらい中年や、変なクスリをやってそうな若者や、暴力組織に所属してそうな連中ばかり。しかも回に比例するかのように、その人数は増えていった。一回目はひとり、二回目はふたり。そして四回目は、みごとに四人。
本物が出るよりよかったし、半信半疑だったえりすの実力を見る、いい機会だったが。
――もっと強くなりたいからよ。わたしが。それ以外の理由なんてないわ。
なんで、毎夜こんなことをしているのか、という問いに対する答え。簡潔で、真剣な。
実際、彼女は強かった。使えるという“魔法”を封印してさえ。
由菜の目に、それ以上のレベルアップなんて必要ないと見えるほど、強かった。
こんな女らしい体なのに、力強く、その戦いぶりは常に圧倒的だった。
「わっ、わたしの責任じゃないってば。関係ない、と思う……」
「どうかしらね」
「そんなことより、さっきのはひどい。自分だけアイスモカ買ってたなんて」
「ああ、気にしているの? はい」
宙へ放ったカップが落ちてくるまでに終わらせ、危なげなく再キャッチし、手に持っていたえりすは、どうぞ、と由菜に差しだした。透明なプラスチックのカップに刺さっている赤いストロー。……そ、そういう意味じゃない! と拒否する。えりすは首を傾げてみせた。なんにもわかってない、と由菜は憤る。
「まあ、いいわ。次いくわよ、由菜」
(……やっぱり、まだやるんだ……)
なにより、そのあっさりした決定が、由菜をへこませた。
――――濃密な夜の匂いがしている。
ぼんやりと街灯が点る電信柱の下で、由菜はひざを抱くようにしてしゃがみこんでいる。時刻は、もう十一時を回っている。北海道にいたころは、年の瀬でもないかぎり、こんな夜更かしをしたことなんてない。夜の匂いは、水の匂いに似ている、と思う。だから、だろうか。ふと、深海にいるような気がするのは。
街灯の下にいる自分は、チョウチンアンコウの提灯の下にいるようなものかもしれない。 そんなことを考え、ふに、と由菜は口もとをゆるめ笑みを浮かべた。
こんなおかしなことを考えるなんて、やっぱり自分は眠いのだろう。……昔から、夜更かしは苦手だ。
「フッ。わたしが唯一尊敬する格闘王は、こういっているわ」
五回目、五人の下っ端ヤクザと向かい合い、えりすが悠然と胸を張っている。繁華街の外れ、人気のないアスファルトの駐車場。楽しそうだなあ、と由菜は思う。なんだかんだいって、戦いの場に立てば、えりすは喜々として悪漢を倒す。趣味なんじゃないかと思うくらいだ。苺ノ沢えりす、趣味・ストリートファイトあるいは悪党狩り。
「『自分もかつてはクズでした、クズのクソ野郎でした。ですが師に出会い“闘魂(ファイティング・スピリッツ)”を叩きこまれ、目覚めたのです』と。喜びなさい、あなたたちにも叩きこんであげるわ。――わたしの“闘魂(こぶし)”をね」
闘魂と書いて“拳”と読んでいた。目覚めさせてやる気なんか、まったくなかった。
「……ざけんな。てめえ、山丸組、舐めてんじゃねえぞ!!」×5
「失礼ね。舐めるわけないわ、そんな薄汚いもの」
ぐるりと五人に囲まれながら、えりすに臆する様子はゼロだ。
「――由菜!」
と、少し離れた電信柱のもとから見守る由菜に、声を投げる。
由菜は、ぱちぱちまばたきして、
「えっ? あ、あーはいはい、……『え・り・す! え・り・す! え・り・す!』」
やりきれない恥ずかしさに耐えながら、いまいち真剣になれない声で、由菜は事前にいわれた通り、拍手&コールする。すると、えりすは、すうっと右拳を夜空へ突きあげ“えりすコール”に応えてみせた。満足げな微笑だ。
(たまにえりすって、子供みたいっていうか、うーん……)
だが、美人はなにをしてもさまになるから得だ。彼女は、こんなときもキレイだった。
拳をおろし、かまえ、えりすは男たちを見回す。
「さあ、きなさい。わたしの拳が、レクイエムを歌ってあげたくてウズウズしてるわ」
由菜はぞくぞくっと背筋に寒気を感じた。エンジン全開だった。
遠くから電車の走る音が聞こえてくる。ああ、終電がなくなる前には、帰らないと。
(学校もお店も休みだから、明日は、ゆっくり寝――)
男のひとりが、えりすに突進していった。それが開始の合図だった。
ひざ蹴り、裏拳、みる間に男たちが倒されていく。何度見ても、ほれぼれするような強さだった。このまま、この夜が終わってしまってもいいんじゃないか、と思う。えりすも充分楽しんでいるようだし……。本命を探すのは、また今度でも。「ふわ」と由菜は小さくあくびをもらした。頭上で街灯がパチッパチッと点滅した。ふと、なにげなく頭上を見上げ、そこにおかしな影を見たところで、由菜の意識は途切れた。
「お待たせ。終わったわ、由菜」
最後のひとりを倒し、えりすが電信柱へと視線を投げたが、そこには誰の姿もない。
「――――由菜?」
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