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 わあああああああん、わあああああああん。

 一面の闇の中、幼い子供の泣き声が聞こえる。泣いているのは、自分だ。幼稚園の園児服に身を包んだちっちゃな自分。暗い暗い闇の中、ぽつんとひとりぽっちで。ああ情けない、泣くなってば、と思う。いつの記憶だろう、これは? どこの記憶だろう、これは?なんで、このときの自分はこんなに泣いているんだろう――?

 わあああああああん、わあああああああん。

 止むことのない、全力をふり絞っているような、大きな泣き声。そんな泣き方をしていたら、すぐに喉が涸れて、体力を失って、倒れてしまうんじゃないか。聞いていたくない、耳をふさぎたい。なのに、ふさぐべき耳が見当たらない。ふさぐための両手も見当たらない。違う、いまの自分は体そのものがどこにもない。

 わあああああああん、わあああああああん。

 もう泣かないで!! 苛立たしく思った瞬間、さあっと闇が晴れた。幼いころの自分が立っていたのは、どことも知れない路上だった。いや、覚えている。これは幼稚園から帰宅するさいに使っていた、自宅すぐ近くの坂道だ。思いだす、すべて思いだす。泣くな、という思いが、逃げろ、に変わる。――でないと、“こわいモノ”がくる。

 わあああああああん、わあああああああん。

 それは、ある日、突然起こった。幼いころの自分は、突然、ほかの友達や先生には見えていない、おかしなモノが見えるようになった。誰にいっても信じてもらえなかった。その日のバス帰宅の途中、それらが自分をどこまでも追ってくることに、気づいた。しかも、次第に数が増え、その中の多くは、得体のしれない怖ろしい姿をしていた。

 わあああああああああああああああああああああああああああああああああああん!!

 バスから降りた、自宅そばの路上。ひとりになるのを待ちかまえていたように、怖ろしい姿をした大勢の“こわいモノ”は、津波のように襲いかかってきた。まだ、死ぬということが、どういうことかわかっていないころの出来事だ。けれど、あのときの自分は間違いなく、死の間際にいたのだと思う。ただただ怖かった。夢中で、母を呼んでいた。

 柔らかな光。

 たぶん、短い時間だが、自分は立ったまま気絶していたのだと思う。気がつくと母の腕の中にいた。抱きしめられていた。周囲は静まり返り、いつもの平穏な日常に戻っていた。怖い夢をみたのね由菜、と母は何度も自分の頭をなでてくれた。嗚咽がもれ、安堵の涙がこぼれ続けた。母は落ちつくまで、ずっとそうしてくれていた。

 ほら、“こわいモノ”はみんないなくなったわ。だから、もう大丈夫。

 自分でもそう信じたかったからだろう。母の言葉に存在する矛盾に気づかず、そうか自分は怖い夢をみていのか、と納得した。家に戻った由菜は、高熱をだして何日も寝込んでしまった。その間、何度もひどい悪夢をみた。そのたびに母は、自分を目覚めさせ、抱きしめてくれた。そして数日後、あの星飾りのネックレスを渡されたのだ。

 もう大丈夫よ、由菜。

 これを身につけているかぎり、もう怖い夢はみないと。
 あなたを守ってくれる大事なお守りだから、いつもしてなくてはだめよ、と。
 ……うん、と自分は答えた。なのに。

(ごめんね、お母さん。約束やぶっちゃった。でも、近づきたかった、か、ら――)

 びゅうう! と頬を吹きつける風で由菜は目覚めた。
 夢のように脳裏を駈けめぐった幼いころの記憶は、一瞬で、彼方へと去った。背中にゴツゴツした冷たい感触。平たいコンクリートの地面に倒れている。……空が近い、と由菜は思った。夜空を流れる雲が、さっきまでより近い。強風で、低空まで下りてきたのだろうか、――違う、すぐに考えを改めた。ここが高いのだ。
(えっ、ここ、どこッ!?)
 と、倒れていた体を起こしかけたとき、“それ”と目が合った。