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 雪がまた降りはじめた。思った通り車内は、これでもかと暖房が効いていた。
「札幌駅でいいんかい?」
「うん」
「したっけ夜行で東京か。若いのに飛行機が苦手なんて、なっさけないね〜」
「もう、いいっしょや、おばちゃん!」
 頬を赤くして由菜は首からマフラーをほどいた。助手席のシートから身を浮かせコートを脱いでいる途中、セツは当たり前の顔でアクセルを踏み、軽トラックを発進させた。体勢を崩され、由菜は背中からシートに倒れこむ。
「わ、きゃあ!」
「はっはっは」
「おばちゃん!」
「はっはっはーだ」
 からっとした笑い声が憎めない。由菜は、ぷーっと頬を膨らませたものの、それ以上責めることはせず口をつぐむ。ゆれる車内で不自由そうにコートを脱ぎ、上はセーター、下はジーンズに巻きスカートという薄着になった。山の麓までの下り坂は、道の両脇に雪がうずたかく積もり、壁のようになっている。
 由菜はひざの上にコートとマフラーを置いて、しばらくゆれに身を任せた。
 速度を落とした安全運転の車内に、地元局のローカルラジオ番組が小さく流れている。
 明日の札幌の天気は曇りのち雪らしい。でも、由菜には関係がない。
「東京は水がマズいんだってねぇ」
「……? あっ、はい」
 唐突なセツの声に曖昧にうなずく。聞きたいことがあって、聞いていいか迷っていた。
「あの」
「なんだい」
「おばちゃんは、知ってたんですか? えと、その」
「――“魔法”?」
「あ、はい。うちのお母さんが、その」
「魔法使い」
「あ、はい、スミマセン……」
 まだ口にするのに抵抗があるのか――、なぜか口調まで丁寧な由菜にセツは笑った。
「ま、わたしはね、久遠とは長いつきあいだから。何度か世話になったこともあるし……。わたしだけじゃないな、久遠の力に助けられたひとなら何人も知ってる。あんたのお母さんは、そりゃあ立派な魔法使い――“魔女”だった」
 驚くしかない話だった。当然のように、こともなげに吐かれたセツの言葉。
 由菜が知る、しっかりしているようで抜けていた母と、まるで重ならない。
 買い物は上手だけれど、よく財布を落とした。料理も上手だけれど、いつも作りすぎた。
 掃除・片づけも得意なくせに、すぐどこになにがあるか忘れていた。
 フォローはいつも由菜の仕事だった。そんな母。
「知らなかった、ぜんぜん」
「むふふ、久遠の頼みだったからね。……で、由菜は、まだ信じてないんかい?」
 ま、そりゃそうか、とつけ足される。
「……そんなわけじゃないけど」
 わずかに肩すくめ、由菜は弁解するようにいった。そう、信じてないわけじゃ、ない。
 ひとり言のように「思いあたるフシ、ないことないし」と呟いた。
 由菜はシートに深くもたれるように、後頭部をヘッドレストに押しつける。
 かすかに振動を感じる。ゆっくりと目を閉じる。
 ――ほら、“こわいモノ”はみんないなくなったわ。だから、もう大丈夫。
 まぶたの裏に、遠い日のおぼろげな記憶がよみがえる。
 ――もう大丈夫よ、由菜。
(信じてないわけじゃない。だって……)

 幼いころ一度だけ、自分は、本物の“魔法”を見たことがあるはずだから。

「久遠は悩んでたよ、わたしも何度か相談されたことがある」
「え?」
 目を開き、ハンドルを操るセツの横顔を見た。
「なんでも由菜にゃ素質があることがわかったって。“魔法”のこと教えていいか、魔法使いになるよう勧めていいか、ずっと悩んどったわ。わたしは難しいことはわからんから、せっかく素質があるなら、そうすればいいって簡単にいったけど」
 わはは、とセツは笑った。
「そうなんだ……」
 ひと月前、救急病院の集中治療室で、たくさんのチューブに繋がれた母から聞いた話に、素質や悩みのことは含まれていなかった。だから、保険会社勤務だと信じていた母が、日々どんなことで思い悩んでいたかなんてわかるわけもない。
 由菜は言葉をなくした。セツが運転する軽トラックは山を下り、せわしく車が行き交う国道を走って、札幌市街へと入った。頭をもたせかけている車窓の外、夜の街の明かりが流れるように過ぎていく。